聖戦映画

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聖戦映画(せいせんえいが)あるいはデファーエ・モガッダス映画(デファーエモガッダスえいが、ペルシア語: سینمای دفاع مقدس, ラテン文字転写: sīnemā-ye defāʿ-e moqaddas, 直訳:聖なる防衛の映画, 英語: Holy Defense cinema)は、イラン・イラク戦争(1980年-1988年)の諸相を描くイラン映画のジャンルのひとつである[1][2]。西洋ではあまり知られていないが2014年8月時点で200作を超えるフィルムが制作されており、商業的成功を収めているだけでなく映画評論家の評価も高い作品も存在する[2]。このジャンルの映画を監督したことのあるイランの映画監督は多い。エブラーヒーム・ハータミキヤーペルシア語版モフセン・マフマルバーフマジード・マジーディーキャマール・タブリーズィーなどが価値の高い聖戦映画を監督している[2]。特にハータミキヤーは多作であり、このジャンルを代表する映画監督とされる。

聖戦」(デファーエ・モガッダス defāʿ-e moqaddas)とは、イラン・イラク戦争のイラン側での呼び名である[2]。同戦争は1979年の革命により新しく誕生した「イスラーム共和制」の存立を脅かす、「強いられた戦争 jang-e tahmīlī」だったと位置づけられており、ジハードにおける殉教を強く意識させる「デファーエ・モガッダス」という宗教的な用語があえて使われている[2]

1980年9月に勃発したイラン・イラク戦争は、緒戦の段階で工場や製油所への攻撃のみならず、町や都市全体の破壊や市民への無差別爆撃がなされ、イラン国民に心的外傷(トラウマ)を与えるものだった[2]。このことが前線を防衛する兵士や戦争による犠牲者への共感を示す新しい映画ジャンルの誕生を促した[2]。最初の聖戦映画とされるのは、1981年公開の映画『国境ペルシア語版』である[1]。1980年代の聖戦映画においては、神々しいイメージの無敵の英雄が描かれ叙事詩的であった[1]。作品のテーマは祖国防衛であり、大衆を前線に動員することが作品の第一の目的であった[1]

初期の聖戦映画に登場する敵は、冷酷ではあるが非理性的であり、簡単にやられてしまうようなものであった[1]。しかしその後、エブラーヒーム・ハータミキヤーペルシア語版ラスール・モッラーゴリープールペルシア語版など、実際に前線を経験した人材が監督になるなどすると、映画のリアリティが増した[1]。前者の دیده‌بان(1989年)、مهاجر(1990年)、後者の پرواز در شب(1987年)といった作品は、リアリティを増したこの頃の聖戦映画の代表として挙げられる[1]

1990年代に入ると、普通の人々が困難に立ち向かっていくさまが描かれた聖戦映画作品が登場した[1]。イラン学生通信の記事によると、この時期が聖戦映画ジャンルの黄金期である[1]。作品テーマは深化し、この時代の聖戦映画は、献身的態度(イフラース)、努力(ジハード)、智識(イルファーンペルシア語版)、認識論的哲学を多様な形態、物語を用いて表現した[1]。映画を最後まで見ると道徳的知性を持つことや自己研鑽を積むことの大事さを認識させられることの多いのもこの時代の聖戦映画の特徴である[1]。この時代の名作としては、عملیات کرکوک(1991年)、سجاده آتش(1993年)、سفر به چزابه(1995年)が挙げられる[1]

また、停戦を受けて、戦争が人生や社会に及ぼす影響というテーマの作品や、前線の戦場ではなく銃後の街角にカメラを向けた作品も作られるようになった[1]。他方で、映像技術や音響技術が向上し、映像や音響効果の面で耳目を惹く作品も現れた[1]

2000年代以後は聖戦映画の制作が低調になる[1]。その代わり、「反戦」という、それまでになかったテーマを持つ作品が登場した[1]。名作としては、اتوبوس شب(2007年)などがある[1]。コメディ要素を持つ作品が登場したのも2000年代以後の特徴である[1]。なお反戦をテーマとしていることが指摘できる映画としては1986年制作、1989年公開という早い段階で、戦争孤児の問題を描いたバハラーム・ベイザーイー監督の باشو، غریبه کوچک(1989年)もある[3]

研究

脚注

関連文献

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