聖武天皇社
三重県四日市市大字松原にある神社
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解説
聖武天皇社の神紋は16弁八重菊[1]、祭神は聖武天皇である。祭祀として、例祭が毎年7月16日、その他中慣例祭儀4回である。例祭は別名・松原の石取祭とも称する。境内神社は白玉龍神を祭る白玉龍神社で、神明造の本殿と拝殿と社務所がある。松原区の800戸を氏子としている。社伝によれば、安貞元年(1227年)に創建された。当時から松原村民と田村家が祭事を行っている。


歌碑
佐々木信綱の書による石碑が1955年(昭和30年)に築造されて「妹(いも)に恋ひ 吾(あが)の松原みわたせば 潮干の潟(かた)に鶴(たづ)鳴き渡る」という聖武天皇の歌が刻まれている。
力石

本殿の右側にある。松原村の若者らが、ことあるごとに体力を試そうとして競いあい、この力石を持ち上げた。重さは不明。松原村に代々伝わったものを、1993年(平成5年)に聖武天皇社に移した。
正月
松原の石取祭
松原の石取祭りのときに、初穂の小麦粉で作った団子を神前に供える風習が残っている。これをゴシンエ(御神恵の意味)またはゴシントク(御神徳の意味)と呼んでいる[2]。
富洲原地区
田村家
松原村の旧家の田村家が明治時代まで神社を守ってきた。
松原村
松原姓を名乗っていた旧家田村家の民話では、聖武天皇が伊勢行幸の際、松原村の旧東海道を通ると一陣の風が吹き、天皇の笠が池に落ち、付近の小川で洗濯をしていた田村家の娘がその笠を拾ったため、これが縁となって聖武天皇は田村家に宿をとったという。その形見の品が永く保存されていたが、火災で焼失したという。『続日本紀』の記述では、聖武天皇は天平12年(740年)に伊勢国に行幸した。
聖武天皇と万葉集
その際に聖武天皇は松原の歌を詠んだ。『万葉集』に「妹に恋ひ、吾の松原見渡せば、潮干の潟に、鶴なき渡る、右の1首、今案ふるに、吾の松原三重郡にあり。河口の行宮を相去ること遠し。けだし、朝明の行宮に御在す時に製らす御歌なるを、伝ふる者誤れるか。」とある。吾の松原については、津市安濃地域の松原の説と、鈴鹿市の伊勢若松駅周辺の鈴鹿郡松原の説や、四日市市の県地区であるという説がある。
