聖神社 (鳥取市)
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| 聖神社 | |
|---|---|
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聖神社境内 | |
| 所在地 | 鳥取県鳥取市行徳2丁目705[1] |
| 位置 | 北緯35度29分59.899秒 東経134度13分12.400秒 / 北緯35.49997194度 東経134.22011111度座標: 北緯35度29分59.899秒 東経134度13分12.400秒 / 北緯35.49997194度 東経134.22011111度 |
| 主祭神 |
邇邇藝命[2] 日子穂穂手見命[2] 事代主神[2] |
| 社格等 | 旧郷社[3] |
| 創建 | 未詳[3][4] |
| 本殿の様式 | 入母屋造(鳥取県保護文化財)[4] |
| 例祭 | 春祭(5月第3日曜、隔年で神幸祭)、夏祭(7月19日)、例祭(9月19日)[1] |
| 地図 | |
聖神社(ひじりじんじゃ[3])は鳥取市行徳地区の西端部にある神社である。鳥取城と鹿野城を結ぶ鹿野往来(現在の県道41号・21号などに相当)という街道に面し、街道が鳥取市を流れる千代川に差し掛かる場所に位置する[5]。
鳥取市中心市街地の商店街の大半を氏子にしており、2年に一度神輿や屋台が巡幸する神幸祭が行われることで有名。地元では聖神社と神幸祭のことを親しみを込めて、聖(ひじり)さんと呼んでいる。
江戸時代に建築された社殿は鳥取県の保護文化財に指定されているほか、鳥取県の「建物百選」に選出。また社叢は鳥取市の保存樹林となっている。神幸行列は鳥取県の無形民俗文化財に指定されている[1]。
創建

江戸時代初期の『因幡民談記』(1688年成立)には聖神社の創始に関する伝承が掲載されている。これによれば、とある遊行上人が因幡国へ回国してきて、この地で没したのだという。そこで村人がこの高僧を弔い崇めたのが聖神社の始まりだという[4][5]。
江戸時代の史料によると、当時の祭神は現在と異なり、「瓊瓊杵尊」(ニニギ)とその父「吾勝尊」の2座である[5]。聖神社自身では、「吾勝尊」は「日知りの神」と呼ばれていたことから社名を「ひじり」と称するようになったのではないかと推測している[6]。
江戸時代
神社に伝わる棟札は、本殿が宝永7年(1710年)に再建されたものであることを伝えている[4][6]。その後寛政年間(1789年 - 1801年)に改築され、現在に至る[7][1]。拝殿は文化12年(1815年)に造営したもの[3]。
『因幡志』(1795年成立)によると、行徳村の「聖大明神」が安永5年(1776年)8月に神階として正一位を授かったとある[5][4]。それまでは9月11日に秋の祭礼があったが、これを機に、翌安永6年(1777年)6月6日から夏の例祭を行うようになったという[3][4][1]。さらに天明3年(1783年)からは、千代川の河原への神幸祭が始まり、神輿濯という神事を執り行うようになった[5]。翌天明4年(1784年)からは、これに町人の氏子講が加わるようになった(詳細は#神幸祭参照。)[5]。
この夏祭りは城下でも極めて賑やかなもので、鳥取藩主の子女も河原へ見物に繰り出すほどだったが、祭りがあまりにも加熱しすぎたため、一時は藩主が祭礼を禁止するまでになった[5]。再開された後も、雨天で中止となったのを不服とした氏子たちが寺社奉行へ訴え出る騒ぎも起きている[5]。
近代
明治時代初期[注釈 1]に恵比寿社を合祀し、これにより祭神に事代主神が加わった[5]。明治4年(1871年)には近代社格制度のもとで郷社に列された[5]。
現代
昭和32年(1957年)、本殿が鳥取県の保護文化財に指定された[6]。平成17年(2005年)には幣殿と拝殿の透塀や棟札16枚が保護文化財に加えられている[6]。また、神幸祭(春の例祭)が平成14年(2002年)に鳥取県の無形民俗文化財となった[6]。
祭神
境内
境内は3,844平方メートル(約1160坪)[1]。
- 本殿

本殿は入母屋造で、桁行1間、梁間2間[4][注釈 2]。8尺(約2.4メートル)四方[1]。
南面し、正面には千鳥破風があり、さらに唐破風の向拝が1間の寸法でせり出している[4][1]。
基礎部分は、基壇(土盛り)の上に花崗岩製の亀腹(基礎石)を配している[4]。これに乗った柱の上には斗栱(構造と装飾を兼ねる木組み)が「4手先」(4段階の木組み)で組まれていて、これが建物周囲の回廊を支えている[4]。軒下は3手先[7]。建材には総てケヤキが使用されており[5]、木部には細部にいたるまで浮彫などの彫刻が施されている。その主題は、「波に鯛」、「岩に虹」、「鷹に猪」、「竜」、「鳳凰」、「桐葉」、「雲形」など[4]。屋根は銅板による平板葺きである[4]。
棟札写によれば、この本殿は江戸時代中期の宝永7年(1710年)閏8月に再建されたものである[6]。その後、寛政年間(1789年 - 1801年)に改築され、現在に至る[7][1]。
建築様式は当世風というよりは桃山時代の特徴を有しており[5]、建築そのものは木割が大きい大胆重厚なつくりでありながら、細部は彫刻による装飾が豊かである[4]。これは因幡国や伯耆国東部の神社本殿建築の特徴でもある[7][1]。『鳥府志』(1829年成立)では、「国中無双の麗宮」「工匠巧を究め彫刻美を尽せリ」と評している[1]。
この本殿は昭和32年(1957年)4月16日に鳥取県の保護文化財「聖神社本殿(県指定の彫刻及び建造物)」に指定されている[7][4][8]。
- 拝殿・幣殿
拝殿は文化12年(1815年)の建築と伝わる[5]。この拝殿と幣殿、これらを囲う透垣は、平成17年(2005年)11月29日に県の保護文化財として追加指定を受けた[7][6]。
- その他の主要建築物
境内には、神輿庫、神具庫、手水舎、社務所がおかれている[1]。また、境内神社として稲荷神社ほか1社がある[1]。
- 社叢
境内の樹木には、本殿が再建された時期よりも古くからあると推定されるイチョウとケヤキの巨木がある[9][10]。これらは「聖神社社叢」として昭和53年(1978年)に鳥取市の保存樹木・樹林に指定された[9][10][注釈 3]。


