猪手は、海外交通の要衝である糸島半島の韓亭・引津亭を支配する一族の首長であり、海上商業や製塩にも従事していたと考えられている[1]。
肥君の本拠は、肥後国八代郡の氷川流域であったが、筑前国の嶋郡には6世紀頃に進出してきたと推定されている。猪手の一族が記された「筑前国嶋郡川邊里戸籍」は郡司の家族構成の例として著名であり、その構成は庶母、従父兄弟2世帯、弟妹4世帯、本人、妻妾4人、男8人、男の婦3人、女4人、孫10人、血縁関係のない寄口3世帯、奴婢37人の、合計124人からなる家父長的世帯共同体であり、口分田班給額は13町6段120歩に及んだ[2]。