脚気
ヒトの疾患
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概要
症状
検査
疫学
日本における歴史
→詳細は「日本の脚気史」を参照
日本でいつから脚気が起こり始めるようになったかは定かではないが、すでに『日本書紀』に脚気の症状に関する記述が見られる。平安時代には、天皇や公卿を中心に白米食が広がり、脚気が発生した。江戸時代の元禄年間には、江戸において一般の武士や町人にも白米食が普及して脚気が流行し、享保年間には大阪、京都にも広がり、天保以後は地方都市でも流行した。
明治に入ってからも、脚気の流行が続いた。1870年から翌年にかけて脚気が多発しだし、特に陸海軍での脚気発症率は高かった。海軍は兵食改革を実施して脚気を撲滅した。陸軍でも白米食の代わりに麦飯に変更することで対策を施したが、戦時兵食は白米食にしたため、戦時には脚気惨害を招いた。
1923年には脚気死亡者数のピークに達し約2万7千人となった。1925年に脚気の原因がビタミンB不足と確定したものの、脚気は抑制されなかった。1937年に勃発した日中戦争の前まで、脚気死亡者数は年間1万人から2万人で推移した。しかし、日中戦争が始まると食糧用の米が不足したために、脚気死亡者数は6千人台まで減った。
第二次世界大戦後は、栄養改善政策による栄養状態の改善や保健薬としてのビタミン剤の普及などにより、死者数が減少していき、1956年に1000人を下回り957人、1965年に100人を下回り92人、1970年には20人と特殊希少疾患以下になり、脚気は消滅状態になった。