デザイン的には地味であり、車道も一車線で、歩道も狭い橋であるが、鶴見川にかかる徒歩で往来可能な橋としては、河口側から数えて鶴見大橋(産業道路)に続く2番目の位置にある。江戸時代に存在した潮田の渡し場の跡からすぐのところに位置している。
いつから現在の名称となったかは定かでない。1951年(昭和26年)3月製版の「横浜市三千分一地形図画像(昭和初期)」においては「鶴見川大橋」と記載があるが、1957年(昭和32年)10月測図の「横浜市三千分一地形図画像(昭和30年代)」においては現在の名称で記載されている[1]。