至心流
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本名は小泉三郎左衛門という名前であり、心陰柳生流と至心流捕手の師範として庄内藩に仕えていた。
竹内流を学んでいた小泉利心斎が止心流開祖の真杉三郎兵衛の高弟であった門川閑眠子から止心流を習得し、工夫を加えて寛文四年(1664年)に至心流と号して庄内に伝えたとされる。
伝書に記された伝系では竹内藤一郎→竹内内記→閑民子→小泉利心斎と続けて書かれているが、山形県鶴岡市の鶴岡天満宮にある至心流の奉納額には、小泉利心斎は竹内流三代目の竹内久吉の門弟であったと書かれている。
庄内藩士の高橋種芳が書いた『大泉掌故』という文書によると、心陰柳生流に伝わる話の中に柳生但馬守宗矩の高弟の小泉三郎兵衛という人物の名前が出ており、この小泉三郎兵衛が小泉三郎左衛門の事で寛文年間に庄内藩で心陰柳生流が始まったと思われると記している[1]。