至心流

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発生国 日本の旗 日本
発生年 寛文4年(1664年
創始者 小泉利心斎(小泉三郎左衛門)
至心流
ししんりゅう
発生国 日本の旗 日本
発生年 寛文4年(1664年
創始者 小泉利心斎(小泉三郎左衛門)
源流 止心流竹内流捕手腰廻小具足
主要技術 柔術捕手捕縄術
伝承地 庄内藩
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至心流(ししんりゅう)とは、小泉利心斎が開いた柔術捕手の流派である。

流祖は、止心流竹内流を学んだ小泉利心斎である。

本名は小泉三郎左衛門という名前であり、心陰柳生流と至心流捕手の師範として庄内藩に仕えていた。

竹内流を学んでいた小泉利心斎が止心流開祖の真杉三郎兵衛の高弟であった門川閑眠子から止心流を習得し、工夫を加えて寛文四年(1664年)に至心流と号して庄内に伝えたとされる。

伝書に記された伝系では竹内藤一郎→竹内内記→閑民子→小泉利心斎と続けて書かれているが、山形県鶴岡市の鶴岡天満宮にある至心流の奉納額には、小泉利心斎は竹内流三代目の竹内久吉の門弟であったと書かれている。

庄内藩士高橋種芳が書いた『大泉掌故』という文書によると、心陰柳生流に伝わる話の中に柳生但馬守宗矩の高弟の小泉三郎兵衛という人物の名前が出ており、この小泉三郎兵衛が小泉三郎左衛門の事で寛文年間に庄内藩で心陰柳生流が始まったと思われると記している[1]

助川助川閑兵衛から至心流を学んだ岩瀬一心斎重周は、竹生島流棒術の免許皆伝でもある。

内容

至心流の内容は下記の通りである[2]

表の仕組は腕を流して捕える腕流、一重身になり違って捕る違詰、小手を折って捕る小手乱、行き違いながら捕る行違、後ろより詰める後詰の五手となっている[3]

捕縄術は56通りあった。

至心流は捕獲するのが目的でありなるべく物静かに取って抑える方法で組み立てられている[3]

立合外
腕流、違詰、小手乱、行違、後詰
居合外
柄取、人質、玉刀、胸刀、胸取
取口 付 立合
稲妻、嵐、小尻返、行違、大乱
取口 付 居合
楊柳、添詰、引倒、乱取
高上極意
進、退、露、骨砕、戸入、万力、水月
外之物之次第


系譜

小泉利心斎の心陰柳生流と至心流の門人は119人いた。 心陰柳生流では松原源右衛門、氏家新平、石原孫左衛門、鈴木新五左衛門の四人が師範となっており、至心流では氏家新平と長坂弥七郎が師範となった[1]

  • 小泉三郎左衛門(小泉利心斎)
    • 長坂弥七郎重光
      • 山岸嘉右衛門
        • 山本兵四郎高言
          • 大嶋七郎右衛門範正
            • 荒川勘吾義親
              • 東野九兵衛
                • 松木笹右衛門正房
        • 加藤十郎兵衛
          • 庄司多太夫
            • 平田茂太夫
              • 吉村㐂太夫
    • 氏家新平

松木笹右衛門以降の系譜

  • 松木笹右衛門正房
  • 松木新五右衛門正直
  • 池田祐平安胤
  • 松木勘次正綱
  • 助川閑兵衛正親
  • 岩瀬一心斎重周
  • 阿部純


脚注

参考文献

関連項目

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