舒妃
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乾隆6年(1741年)、后妃選定面接試験「選秀女」を受けて合格し、貴人として入宮する。 同年、皇太后の懿旨により、舒嬪に冊封された。
乾隆13年(1748年)、嫻皇貴妃那拉氏が皇后に立てられると、舒嬪は舒妃に冊封された。
乾隆16年(1751年)、舒妃は乾隆帝の第十皇子を産んだが、乾隆十八年(1753年)に夭折した。後、乾隆帝の九女和碩和恪公主を養女として育て、公主降嫁の際に舒妃の宮で結婚披露宴を挙げる。
乾隆30年(1765年)、継皇后那拉氏が断髪により、事実上皇后の座を追われると、舒妃が本来皇后の行う儀式である親蚕礼を代行した。
乾隆40年(1775年)、令皇貴妃が逝去すると、最高位の妃嬪となった。
乾隆42年(1777年)、逝去し、裕陵の妃園寢に葬された。
