舞出長五郎
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人物
1938年4月、土方成美の後任として経済学部長に就任。このとき舞出は同じ高野門下でありマルクス経済学の大内兵衛を中心とする派閥に属しており、前年の1937年筆禍事件で辞職をよぎなくされた矢内原忠雄とも親しかった。翌1939年の平賀粛学においては東京帝大経済学部を追われも去りもしなかった数少ない教官であった。河合栄治郎、土方の休職発令後、2月に学部長を辞任(同月に法学部長田中耕太郎も辞任している)。
太平洋戦争終了後、土方派の残党であった学部長橋爪明男・助教授難波田春夫ら国家主義派の教授陣が退陣すると、1945年9月25日再び学部長に就任(1948年9月まで)、大内・矢内原・山田盛太郎など戦時期の思想弾圧で東大経済学部を去らざるを得なかった同僚の復職に尽力した。