航空機乗員養成所
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初期の航空機は貨物を運ぶにはパワー不足であり、民間航空機の主要な役割は従来の手段を使うよりも早く郵便物を運ぶ郵便機であった。このため航空業務の管轄は郵便を司る官庁となっていた国も多く、日本では1923年に陸軍省から逓信省航空局に民間航空の業務が移管されていた。
当時は航空会社による養成学校が存在したが、1916年8月に開校した東京航空輸送社の日本飛行学校は入学金は600円(当時は新築の家が二軒建てられた金額)と非常に高額で工面出来る者は少なく[1]、学校の経営も安定しないため人材供給が不安定であった[2]。
このため主目的は民間機(主に郵便機)の操縦士を安定的に養成することであったが、有事の際に動員できる操縦士を増やすという目的もあり、生活は軍隊式、所長はじめ教官も予備役軍人であり、卒業後は陸軍や海軍の航空部隊に入隊して予備下士官に任官するなど軍学校としての要素も強かった。訓練は厳しく、尻を野球バットで叩かれる事もあったというが[3]、庶民には操縦訓練の費用を工面するのが難しい時代に全寮制で実業学校相当の教育機関に無料で通えることから倍率は高かった。また同期生との絆は兄弟以上だったという[3]。
1938年(昭和13年)から順次地方航空機乗員養成所が全国に15ヵ所設置された。1939年(昭和14年)には中央航空機乗員養成所が設置された。1943年(昭和18年)地方航空機乗員養成所は航空機乗員養成所と改称され、中央航空機乗員養成所は高等航空機乗員養成所に改称された。
養成過程
高等航空機乗員養成所
地方航空機乗員養成所
陸軍系
- 仙台地方航空機乗員養成所(宮城県仙台市霞の目)
- 米子地方航空機乗員養成所(鳥取県米子市両三柳)
- 熊本地方航空機乗員養成所(熊本県菊池郡合志村)
- 新潟地方航空機乗員養成所(新潟県北蒲原郡松ヶ崎浜村)
- 印旛地方航空機乗員養成所(千葉県印旛郡船穂村草深)
- 京都地方航空機乗員養成所(京都府久世郡御牧村)
- 古河地方航空機乗員養成所(茨城県猿島郡岡郷村)
- 岡山地方航空機乗員養成所(岡山県岡山市福田地先埋立地)
- 筑後地方航空機乗員養成所(福岡県八女郡岡山村)
- 都城地方航空機乗員養成所(宮崎県都城市横市)
海軍系
- 郡山地方航空機乗員養成所(福島県)
- 福山地方航空機乗員養成所(広島県深安郡大津野村)
- 愛媛地方航空機乗員養成所(愛媛県周桑郡吉井村)
- 長崎地方航空機乗員養成所(長崎県諫早市字小野島)
- 天草地方航空機乗員養成所(熊本県)
- ※ 郡山・天草は建設途中で海軍に接収されたため、乗員養成所として開設されなかった