船遊亭志ん橋
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船遊亭 志ん橋(せんゆうてい しんきょう)は、落語家の名跡。船遊亭 新橋としても名乗った。
- 船遊亭新橋 - 後∶2代目船遊亭扇橋[1]
- 船遊亭新橋 - 2代目船遊亭扇橋の門で扇子から新橋となる[1]。俗称を市五郎[1]。
- 船遊亭志ん橋 - 後∶5代目船遊亭扇橋[1]
- 船遊亭志ん橋 - (生没年不詳、幕末 - 明治10年代? )4代目船遊亭扇橋の門で扇寿から仲蔵となって志ん橋となった。「神田の伯母さん」という渾名があり、『古今東西落語家事典』は「女性と思われる」とする[1]。
- 船遊亭志ん橋 - (生没年不詳、明治10 - 30年代? )3代目麗々亭柳橋門下で柳作(柳佐)、2代目古今亭志ん生門に移って志ん玉からこの高座名となった[1]。
- 船遊亭志ん橋 - 下項にて記述
- 船勇亭志ん橋 - 後∶3代目三遊亭小圓朝[1]
| 本名 | 笹川 大助 |
|---|---|
| 生年月日 | 1866年8月21日 |
| 没年月日 | 1919年4月26日(52歳没) |
| 師匠 | 4代目柳亭左楽 7代目桂文治 |
| 弟子 | 5代目土橋亭里う馬 |
| 名跡 | 1.真古亭真生 (1894年 - 1904年) 2.初代桂小文治 (1904年) 3.真古亭真生 (1904年 - 1906年) 4.船遊亭志ん橋 (1906年 - 1914年) 5.船遊亭哥楽[注釈 1] (1914年 - 1917年) 6.船遊亭志ん橋 (1917年 - 1919年) |
| 活動期間 | 1894年 - 1919年 |
| 活動内容 | 落語家 |
| 配偶者 | 宝集家金之助 |
船遊亭 志ん橋(せんゆうてい しんきょう、1866年8月21日(慶応2年7月12日[2]) - 1919年4月26日[要出典][注釈 2])は、明治から大正にかけての落語家。本名∶笹川 大助[2]。妻は宝集家金之助[2]。
当初は大阪にて「新古亭真生」を名乗って出演していた[2]。1894年ごろに上京し、4代目柳亭左楽門下となる[2]。
しかし再び大阪に戻って桂派に所属後、1900年11月に浪花三友派に移る[2]。この当時は2代目桂文團治(のちの7代目桂文治)の門下だった[2]。
1904年ごろに一時桂小文治を名乗ったものの[注釈 3]、再び新古亭真生に復して帰京した[2]。
1906年3月、真打に昇進して船遊亭志ん橋となった[2]。その後も大阪に行って浪花三友派の高座に上がる機会があった[2]。1912年8月に三遊亭圓遊[注釈 4]・桂小文吾らと「浪花大正派」を結成して9月から興行を打ったものの短期間で終わった[2]。
1914年8月船遊亭哥楽[注釈 1]と改名する。しかし「字数が悪い」と姓名判断で言われたため1917年ごろに再度志ん橋となった。[要出典]