良渚文化
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→詳細は「良渚遺跡」を参照
2007年、本格的な発掘調査が行われた。宮殿とそれを取り巻く城壁7kmに及ぶ城郭都市、墓地、工房などの中国最古級でこの時代屈指の大きさの都市遺跡が出土した。焼けた大量の米が見つかり、稲作によったとみられる。良渚遺跡は、初期の都市文明を伝えることが評価され、2019年に「良渚古城遺跡」の名で世界遺産に登録された[1]。周囲には水路が張り巡らされ、玉器が大量に出土する権力者の墓とおぼしきものも見つかっている[2]。神人獣面紋の彫られた玉琮など、祭祀王の存在も窺わせる。玉琮は長江周辺はもとより江西省や広東省等でも見つかる一方で、比較的近くの文化では見つからなかったりする等、各文化間の交流が個々それぞれの結びつきで行われていたことを窺わせる[2]。また、良渚文化が滅びた後、黄河・長江流域の広い地域の各地方文明のそれぞれ拠点とみられる遺跡で玉琮を模した遺物が出土しており、良渚文化の王権の観念が後の二里頭文化などの古代中国各地の文化の王権観念につながったという見方もある[2]。