1874年(明治7年)2月に東京・築地に開設された立教学校(立教大学の前身校の一つ)で学ぶ[4][5]。
1876年(明治9年)4月、貫元介とともに、立教学校の最初の日本人教員となる[3]。同年6月の年度報告によると、当時の教授として、クレメント・T・ブランシェ(Clement T. Blanchet)が主任を務め、チャニング・ウィリアムズ主教とウィリアム・クーパー(William B. Cooper)が語学、聖書、地理歴史などを英語で教えたほか、日本人助教として色田と貫元介が名を連ねた[4]。
その後、実業界に身を置き、高田商会台北支店長のほか、旭電鍍合資会社代表社員を務めた[1][2]。