芦原千津子
From Wikipedia, the free encyclopedia
1918年(大正7年)生まれ。大阪府大阪市の住吉大社の近くで生まれ育つ[2]。
1931年(昭和6年)、松竹楽劇部に入団[1]。秋月恵美子によれば、芦原は「天才肌」であり、(稽古熱心だった秋月に比し)短時間で振付をマスターした[3]。またダンスに専念する姿勢でファンに「愛想をしない人」であった[4]。
1935年(昭和10年)、大阪劇場『アベック・トア』で秋月とのコンビで起用されるようになる[4]。その後1937年(昭和12年)以降は、秋月が男役メインとなり、二人は男役・娘役ペアでコンビを組むようになった[4]。秋月・芦原は「実力の大阪方」として活躍を見せ、ファン及び評論家から絶大な支持を得た[5]。
第二次世界大戦後も、二人は「100万ドルのゴールデンコンビ」と謳われ、戦後のレビュー黄金期の立役者となった[6]。1965年(昭和40年)のソビエト連邦公演など、海外公演にも複数回参加した[7]。
1973年(昭和48年)3月、『50周年記念祭典』を最後に、秋月と共に静かに現役を引退する[8]。在団42年のうち35年間にわたり、主演級のスターとして活躍した[8]。
晩年は、出生地の住吉大社近傍で暮らし、OSK日本歌劇団の存続運動にも協力した[2][注釈 1]。2009年(平成21年)1月5日、大阪市の自宅にて、心筋梗塞のため満90歳で逝去した[1][9]。高齢になっても気位が高く、逝去した際も往年の名スターらしく、顔を上げ座ったままの姿勢だったという[10]。