花和銀吾
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1917年、東京帝国大学法学部卒業。大阪住友倉庫に入社。1928年、小石清らが所属した浪華写真倶楽部に入会し、会社員と写真家を兼業したほか、語学に長けていたことから海外の写真関連文献の翻訳紹介も行った[1]。芦屋カメラクラブにも所属。
1938年(1937年とする資料もある)には、樽井芳雄(たるい・よしお、Yoshio TARUI、1902年-1977年)、本庄光郎(ほんじょう・こうろう、Kōrō HONJŌ、1907年-1995年)、平井輝七、服部義文(はっとり・よしふみ、Yoshifumi HATTORI、生没年不詳)、村田米太郎(むらた・よねたろう、 Yonetaro MURATA、1907年-1943年?)、小林基和らとともに「アヴァンギャルド造影集団」を創設。理論的指導者として活動。制作活動としては、海外のダダ、シュルレアリスム等の影響も受けた前衛的な写真作品(ソラリゼーションやコラージュも含む)を残した。
戦後も活動し、浪華写真倶楽部の再建にも尽力した。