花島兵右衛門 From Wikipedia, the free encyclopedia 花島 兵右衛門(はなじま ひょうえもん、1846年〈弘化3年〉- 1929年〈昭和4年〉)は日本の実業家。静岡県三島市(旧田方郡三島町)出身。日本で初めて練乳(煉乳、コンデンスミルク)の量産化に成功し「金鵄ミルク(きんしミルク)」として販売。このほか、女子教育の推進や三島銀行の設立、伊豆箱根鉄道の前身である豆相鉄道の創設に参加するなど、駿東地域の経済発展に貢献した。 幕末の1846年(弘化3年)に、現在の三島市中央町三丁目にあたる田方郡三島町竹林寺小路(ちくりんじこうじ)地区に生まれる。家業は造り酒屋だったが、ジェームス・ハミルトン・バラに出会い1886年(明治19年)にキリスト教(プロテスタント)に入信して酒屋を廃業。1888年(明治21年)に酒蔵を改修して女学校の「薔花女学校(しょうかじょがっこう)」、通称「薔薇女学校(バラじょがっこう)」を開設した。しかし女学校運営は上手く行かず4年で閉校となる[1][2]。 上記とほぼ同時期の1885年(明治18年)、三島町南才塚に土地を買い、乳牛を放牧する豊牧舎(ほうぼくしゃ)を設立し、当時はまだ珍しかった牛乳の生産・販売を開始する。その中で余った牛乳の活用法として練乳(煉乳)の生産を思いつく。花島練乳所を開設し試行錯誤の末、1896年(明治29年)に「真空釜」の開発に成功、外国産の上質な練乳に引けを取らない国産練乳の大量生産化を実現した。「金鵄ミルク(きんしミルク)」と名付けられた花島の練乳は好評を得て海軍の食料として納められ、銀座三越のアイスクリームの原料としても使用された[3]。 花島練乳所は、後の1917年(大正6年)に「極東煉乳株式会社」の三島工場となり、1934年(昭和9年)に森永煉乳株式会社に売却され、最終的に森永乳業に吸収されていった[4]。なお、極東煉乳会社自体は1940年(昭和15年)設立の明治乳業のルーツとなった[5]。 花島はこのほか1894年(明治27年)の「三島銀行」創設や、1898年(明治31年)の「豆相鉄道」(現在の伊豆箱根鉄道)創設にも主体的に関わり、地元三島の経済振興に貢献した[6]。 脚注 ↑ “広報みしま第117号 ~明治の子女教育の先駆け~薔薇女学校(1997年〈平成9年〉3月1日号)”. 三島市. 2025年9月26日閲覧。 ↑ “広報みしま第227号 明治初期の女子教育のルーツ 花島家と薔薇女学校(2007年〈平成19年〉4月1日号)”. 三島市. 2025年9月26日閲覧。 ↑ “広報みしま・ふるさとの人物から9 花島兵右衛門(ひょうえもん)乳業と女子教育(2004年〈平成16年〉12月1日号)”. 三島市. 2025年9月26日閲覧。 ↑ “広報みしま・ふるさとの人物ゆかりの地13 花島兵右衛門(はなじまひょうえもん)2015年〈平成27年〉4月1日号”. 三島市. 2025年9月26日閲覧。 ↑ “沿革”. 株式会社 明治. 2025年9月27日閲覧。 ↑ “第45号「三島銀行」の看板と花島兵右衛門(1991年〈平成3年〉3月1日号)”. 三島市郷土資料館(歴史の小箱). 2025年9月26日閲覧。 外部リンク 「花島兵右衛門と練乳事業」のお話(株式会社 日清煉乳) Related Articles