苅田アサノ
日本の政治家 (1905-1973)
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来歴
岡山県津山町(現・津山市)生まれ。生家は代々地主の家系で、学生時代からロシア文学及び社会主義思想に傾倒し、日本女子大学国文科を卒業後の1931年、日本共産党に入る。 入党以降財政面で支援を行うものの、1933年に治安維持法の疑いで検挙。転向の後1935年に出獄すると東洋経済新報社などを経て、1938年には郷里の岡山県に戻り西日本製紙に勤務する。
戦後は日本共産党に再入党し、1949年の衆院選に旧岡山1区から出馬し初当選を果たす。しかし再選を期した1952年の衆院選に落選し、以降2度衆院選に挑戦するも返り咲きとはならなかった。
戦前から晩年まで一貫して婦人解放運動に身を投じ、新日本婦人の会や日本婦人団体連合会、国際民主婦人連盟など婦人団体にも参加。
国政選挙歴
- 1949年 - 第24回衆議院議員総選挙 岡山1区 43,208票 当選[2](13名中2位)
- 1952年 - 第25回衆議院議員総選挙 岡山1区 12,285票 落選(13名中11位)
- 1953年 - 第26回衆議院議員総選挙 岡山1区 13,125票 落選(13名中11位)
- 1955年 - 第27回衆議院議員総選挙 岡山1区 15,154票 落選(8名中8位)