若山喜志子

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若山 喜志子(わかやま きしこ、1888年5月28日 - 1968年8月19日)は、明治期から昭和期歌人若山牧水の妻。旧姓は太田[1]、本名は喜志[2]。妹の潮みどりも歌人[2]

1888年(明治21年)、長野県東筑摩郡広丘村吉田(現・塩尻市)生まれ[3][1][2]松本高等女学校への進学を希望したが、母が病弱だったため断念した[2]高等小学校から補習科を終えて、島木赤彦が校長を務める広丘尋常高等小学校(現・塩尻市立広丘小学校)に裁縫教師として奉職。しかし赤彦からの影響は特に受けていない。「女子文壇」に投稿するようになったことで今井邦子生田花世らを知り、横瀬夜雨から高い評価を受ける。22歳の頃、信濃毎日新聞歌壇に投稿し、選者の太田水穂に認められる[3][1]

1911年(明治44年)6月、太田水穂を頼って上京する[1]。水穂の紹介で1912年(明治45年)に若山牧水と結婚[3]。牧水が主催する『創作』に作品を発表した。

1913年(大正2年)に長男・旅人(後に沼津市若山牧水記念館館長)を出産、その後2女1男をもうける。結核を病みながらも、旅の多い夫の留守を守り、貧苦と孤独の中で歌を詠んだ。

1928年(昭和3年)の牧水の死後、「牧水全集」(全12巻)を完成させ、『創作』を主宰したが、のち義弟(妹・潮みどりの夫)である長谷川銀作に委任した。昭和初期を代表する女流歌人として、『主婦之友』『婦人之友』で長く選歌を担当した。

1968年(昭和43年)8月19日、死去[3]。80歳[3]1981年(昭和56年)、「若山喜志子全歌集」が刊行された。

歌集

  • 無花果(大正4年)[3]
  • 白梅集(大正6年):牧水との合著[4]
  • 『歌集 筑摩野』改造社、1930年10月3日。NDLJP:1224857 (要無料登録要登録)
  • 埴鈴集(昭和15年)
  • 芽ぶき柳(昭和26年、長谷川書房)[1]
  • 眺望(昭和36年)

脚注

参考文献

外部リンク

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