若松ゴルフ倶楽部

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所在地 日本の旗 日本
福岡県北九州市若松区乙丸1560番地
開業 1959年昭和34年)9月24日
運営 メンバーシップコース
設計 上田 治
若松ゴルフ倶楽部
Wakamatsu Golf Club
若松ゴルフ倶楽部
若松ゴルフ倶楽部の空中写真。
20167年4月30日撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
福岡県北九州市若松区乙丸1560番地
座標: 北緯33度54分56.35秒 東経130度40分57.35秒 / 北緯33.9156528度 東経130.6825972度 / 33.9156528; 130.6825972
概要
開業 1959年昭和34年)9月24日
運営 メンバーシップコース
設計 上田 治
運営者 一般社団法人 若松ゴルフ倶楽部
コース

OUT IN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1 4366 1 4441
2 4381 2 5524
3 3172 3 3179
4 5492 4 4402
5 4447 5 4390
6 5531 6 3157
7 4468 7 4405
8 3223 8 4356
9 4379 9 5514
363459 363368

その他
公式サイト 若松ゴルフ倶楽部
テンプレートを表示

若松ゴルフ倶楽部(わかまつゴルフくらぶ)は、 福岡県北九州市若松区にあるゴルフ場である。

1958年昭和33年)頃、若松地域に「若松会」という十数人のゴルフ好きの会があり、「門司ゴルフ倶楽部」(1934年(昭和9年)開場、設計・上田治)に通っていた[1]。その会の中心人物が門司ゴルフ倶楽部の支配人・矢野五六で、戦前小郡町(現・小郡市)の「福岡ゴルフ倶楽部大保コース[2]」(1926年大正15年)開場、1944年(昭和19年)閉鎖、設計・川崎保[3])通いからのゴルフ好きだった[1]

若松会では「若松にもゴルフ場を」との声が高まっていった、それに答えたのが若松市長(現・若松区)・吉田敬太郎商工会議所石炭商だった[1]。吉田市長は、地域振興雇用確保を目的に市が中心となり進めることにして、若松市役所の観光課に創立事務所を置き、矢野五六を参謀に据えた[1]。新たなゴルフ場の建設に向けて「社団法人若松ゴルフ倶楽部」を創設、理事長に市長・吉田敬太郎が、名誉会計に助役が就任し、市会議員4名が理事に就任した[1]

ゴルフ場の建設用地は、市を挙げて用地買収に取り組むなど、官民の協力で島郷地区の20万坪に決まった[1]。コース設計は上田治に依頼、上田は、門司ゴルフ倶楽部が9ホールを増設したときの設計者だったため、門司ゴルフ倶楽部を手本に進められた[1]

1958年(昭和33年)3月、乙丸地区に9ホールのコースを着工、同年6月、9ホールのコースが完成した[1]。増設ホールの発注は遅れたが、1959年(昭和34年)1月、9ホールの工事が着工した[1]。同年9月24日、18ホール、6,744ヤード、パー72のコースが完成、開場された[1]。福岡県では、戦前に開場した門司ゴルフ倶楽部に次ぐ2番目のゴルフ場となった[4]

コースの特徴は、シーサイドコースで、アウトコースは豪快に攻めるコース、インコースは綿密な攻めが必要なコースと対照的な設計になっている[1]。開場時は、九州では珍しがられた高麗芝のワングリーンだったが、その後、古来芝の2グリーンに改造した[1]1994年平成6年)、大西久光の設計でベントのワングリーンに改造された[1]

所在地

福岡県北九州市若松区乙丸1560番地

コース情報

  • 開場日 - 1959年9月24日
  • 設計者 - 上田 治
  • 面積 - 690,000m2(約20.8万坪)
  • コースタイプ - シーサイドコース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,827ヤード、コースレート73.5
  • フェアウェー - コウライ
  • ラフ - ノシバ
  • グリーン - 1グリーン、ロイヤルリンクスセブン
  • ラウンドスタイル - 全組キャディ付、歩いてのラウンド、ツーサム可
  • 練習場 - 20打席300ヤード
  • 休場日 - 毎週火曜日、12月31日、1月1日[5][6]

クラブ情報

ギャラリー

交通アクセス

上田治の設計図

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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