若湊祐三郎
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1888年に入幕。関脇を4場所、小結を6場所務めるなど、17年もの長きにわたり幕内上位を維持。小錦とは大相撲を展開して相撲場を札止めにする人気だった。1893年1月からは東方に回り、小錦、朝汐などと大戸平、大砲、鳳凰、荒岩などの強豪と対決した。1902年(明治35年)5月には40歳ながら当時大関であった2代目梅ヶ谷を倒す殊勲を挙げた。立合い「ヨイショコラ」の掛け声を発し、猛突っ張りを武器とした[1]。1904年1月、余力を残し42歳で引退。富士ヶ根部屋を興し、若湊らを育てる。
1903年頃、千賀ノ浦(大達)が「元気なのには感心するよ。その昔下駄を持って、稽古場を駆け回ったお陰だ。今の若い奴らはどれもこれも怠惰者ばかりだ。」と称えていた。
略歴
主な成績
- 幕内成績:122勝101敗3分14預90休 勝率.547
- 幕内在位:33場所
年寄
- 富士ヶ根 竹松 1904年1月 - 1920年9月