フランスの宰相フルーリー枢機卿。英仏同盟は彼がフランスを統治した時代に解消された。
1729年にドーファンのルイ・フェルディナンが生まれると、フランスの後継者問題が解決した。その結果、フランスは同盟に対する興味を失い、イギリスでもオーストロフィル(英語版)(オーストリアびいき)がオーストリアのほうがより良い同盟相手であると主張した。フランスの宰相フルーリー枢機卿はだんだんとイギリスに敵対的になり、さらに英西戦争でフランスがイギリスを支持しなかったことでフランスが信頼できないことが明らかになった。同盟の終結が正式に宣告されることはなかったが、1731年初までに終結したとされた。
1731年、フルーリー枢機卿の方針を勘づいたイギリスはオーストリアと英墺同盟を締結した。そして、オーストリア継承戦争でも英仏は1742年以降敵対し、北米での植民地戦争を継続した。また、英仏は1688年から1815年まで敵対しているとして、この期間を第二次百年戦争と呼ぶという見方もあるが、英仏両国が常に敵対しているとする理論は17年間の英仏同盟を考慮に入れていない。