茂福合戦

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茂福合戦(もちふくがっせん)は、日本伊勢国に行われた戦国時代合戦永禄年間(1560年)に同じ北勢四十八家である羽津城主の田原氏と茂福城主の朝倉氏が争い神戸氏の救援軍が富田浜に上陸して戦った。

神戸氏が2000人の軍兵を兵船80艘に乗せて鈴鹿長太ノ浦駅付近の長太ノ浦と伊勢若松駅付近の若松の浦から茂福城から富田浦の富田浜海水浴場と富田の一本松付近から攻撃して赤堀国虎も羽津城へ引き、白子、鹿伏兎勢も赤堀まで引いた戦いが茂福合戦である。伊勢軍記によると茂福合戦があり、羽津城の田原氏と茂福城の茂福氏の戦争で、鈴鹿郡神戸氏勢の援護を受けた茂福氏が勝利したとされている合戦である。石碑が立てられており、碑文がある。

垂坂山攻防戦

1369年正平24年)に美濃国土岐頼康足利義満の命令を受けて伊勢国に侵入したが、敗北した。そこで北畠顕泰三重郡に数城(柿城・楠城)などを築き千種経顕を総大将として統治させた。しかし1372年文中元年)に北朝側の仁木義長大矢知城南部頼勝に味方して、朝明郡水無瀬山に築城して北畠顕泰と対戦する事となった。茂福城主の朝倉下総守らは仁木氏南部氏を攻撃したが、逆に茂福城が包囲されたため、北畠顕泰は2000余騎の援軍を差し向けて、垂坂山に布陣した。やがて垂坂山攻防戦が開始された。[1] 激戦の末、仁木南部軍は500人の戦死者を出して、残兵は茂福勢、柿の沼木軍、下の山の見永軍に討伐された。 [2]

茂福合戦

参考文献

脚注

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