范伝正
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戸部員外郎の范倫[3]の子として生まれた。進士に及第し、さらに博学宏辞科および書判抜萃科にいずれも甲科登第して、集賢院校書郎に任じられた。渭南県尉として出向し、監察御史・殿中侍御史・比部員外郎を歴任した。元和元年(806年)、歙州刺史として出向した。元和4年(809年)、湖州刺史に転じた。元和6年(811年)、蘇州刺史に転じた[1][2]。元和7年(812年)、宣州刺史・宣歙観察使に抜擢された[4]。元和11年(816年)、長安に召還されたが、かれの邸が奢侈に過ぎると憲宗に奏聞されて冷遇され、光禄寺卿に任じられた。風邪をこじらせて死去した。左散騎常侍の位を追贈された[1][2]。著書に『西陲要略』3巻があった[1][5]。