草創神社 (上田市)
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| 草創神社 | |
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鳥居および社殿 | |
| 所在地 | 長野県上田市上田字弥伍平267[1][注 1] |
| 位置 | 北緯36度24分50.6秒 東経138度16分24.8秒 / 北緯36.414056度 東経138.273556度座標: 北緯36度24分50.6秒 東経138度16分24.8秒 / 北緯36.414056度 東経138.273556度 |
| 主祭神 | 須佐之男命、彌種繼命[3] |
| 社格等 | 旧郷社[4] |
| 創建 | 天喜年間(1055年前後)[5] |
| 別名 | 津島社[4][3][5]、弥吾社、弥伍神社[4]、彌伍社、彌伍大明神[3]、草創津島宮[5] |
| 例祭 | 9月25日[3] |
| 地図 | |
歴史
天喜年間(1055年前後)、尾張国の津島神社(津島天王)より分霊を勧請し、「草創津島宮」として創建。文永年中(1274年頃)まで金井飛騨守の支配下で広大な社領と多くの氏子を有していた。しかし戦乱で村とともに社殿が焼け落ち、社領も村上義清によって没収されてしまった。その後、武田氏は当社を祈願所にし、武田信玄は天文21年(1552年)7月22日 (旧暦) に饌米料高7貫文を寄付したが、武田勝頼亡きあと織田氏、仙石氏の支配下で再び衰退した。寛永年間(1624年 - 1643年)、津島神社境内摂社である弥伍郎殿より分霊を勧請、合祀して疫病を鎮めたことから「弥伍大明神」として多くの信仰を集めた[5]。
1895年(明治28年)、社名を「弥伍神社」とし、1898年(明治31年)[注 2]に近代社格制度における郷社に列し、1901年(明治34年)「郷社草創神社」に改称。戦後、社格制度の廃止により「草創神社」となった[5]。
