草野厚
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現代日本の経済政策や外交政策、行政改革、国際交渉を巡る政策決定過程の実証分析を行う。また、『サンデープロジェクト』のコメンテーターを務めたほか、テレビや新聞・雑誌などのメディア出演も多い。
著書『日米オレンジ交渉』(1983年)で、福田赳夫内閣時代に米国が求めたオレンジの市場開放をめぐる政策過程を分析し、当時の日米経済摩擦が、必ずしも日米政府レベルの対立だけでない複雑な側面を明らかにした。日本国内では輸入の権利を持つ業者とかんきつ農家(農協)が 輸入拡大反対で連合し、輸入権のない完全自由化を求める輸入業者と対立した。他方、米国では数量は限られていたものの日本市場を独占していたカリフォルニア・サンキストグループが、新規参入を求めるフロリダ・シールドスィートを排除しようと対立し、日本国内で利害を一致させる勢力とともに米国議会、ホワイトハウス、日本政府への働きかけを活発に行った。草野はこの状況を、両国の関係者多数にインタビューを行って明らかにしている。また、経済摩擦にみられる両国間の政策過程の複雑さを相互浸透モデルとして提起した。この著作は、1984年度の日米友好基金賞を受賞している。
学生時代から音楽に造詣が深く、慶大在学中に東京藝術大学を2度受験して、2度目は最後の2人まで残ったという逸話を持つ。近年はパイプオルガンに興味があり、自宅に小型のパイプオルガンを設置するほどで、著書『癒しの楽器パイプオルガンと政治』(2003年)はオルガンを巡る既得権益(公共施設に税金で導入されたにもかかわらず、実質的にギルド化したオルガニストだけが利用できる)への批判が執筆のきっかけになったものであり、当時東京藝大教授だった鈴木雅明をはじめとする関係者を名指しで批判した。国会の委員会でも、問題提起がきっかけで東京藝術大学のオルガン導入の経緯が取り上げられた。
2000年にドキュメンタリー番組を格付けするNPO団体、メディア検証機構を設立し理事長を務めた。メディア機構は一定の役割を果たしたとして活動を2006年に停止した。
草野は慶應義塾大学教授の時には、ゼミ生が大手メディア、特に在京キー局とNHKに就職することが自慢であり、大手メディアへの就職を目当てにゼミに入る者も多かったが、殆どがその基準に満たず、夢破れた。また、草野を卒業後も信奉するゼミOB・OGがいる。
草野が慶應義塾大学総合政策学部の教授に着任した1991年当初からΩ(オメガ)館の大講義室棟で行っていたグループワークと討論を柱とした「戦後日本外交論」(通称:戦日)は、湘南藤沢キャンパス(SFC)の名物授業の一つとして知られている。その模様は2011年9月にNHK教育テレビ/Eテレ「白熱教室JAPAN」で放映(全4回)され、同名物授業の知名度は全国区となった。
同時期の2011年秋に、草野は中学生時代に興味のあった日本史に回帰。テーマを「古墳」としたライフワークは定年後に本格化し、これまで全国40都府県の600基を超える(2021年5月現在)古墳を実際に訪れ、その様子を撮影した動画を解説文と共にブログにアップしている。