荏原義宗

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荏原 義宗(えばら よしむね、1231年寛喜3年〉 - 1285年弘安8年〉)は、鎌倉時代中期の日本地頭左衛門尉日蓮の弟子であり、長勝と称した。

1231年寛喜3年)に生まれる[1]。『新編武蔵風土記稿』には荏原氏は武蔵七党猪俣党に属していたと記され[2]旗岡八幡神社、および法蓮寺にある記録によれば、源義家の末裔と称していた[3]新倉善之の『荏原中延史』によれば荏原氏が義家の末裔を名乗ったとされるのは義宗の代からだと推測している[4]宗尊親王に仕え左衛門尉に任される[1]1259年正元元年)に武蔵国荏原郷の地頭になり[1]武蔵国荏原郡中延に居を構えた[5]。この際荏原は八幡大神を崇め旗岡八幡神社の社殿を建立している[6]。当初は蘭渓道隆のもとに参じていたが、日蓮が松葉谷に逗留した際に池上宗仲四条頼基らと共に日蓮のもとに入った[5]。伝承によれば1274年文永11年)に鎌倉由比郷の松葉谷妙法寺の別当になり、1278年弘安元年)に剃髪、長勝と号し1282年(弘安5年)、長勝寺を創建し、1285年弘安8年)に没したとされる[4]。旗岡八幡神社は荏原の館であったとされ、品川区内には荏原義宗、池上宗仲の影響により日蓮宗の寺院が多い[7]。息子の徳次郎は日蓮宗に帰依し、朗慶と名乗り日朗のもとに入る[5][6]北条時盛との親交があった[8]

脚注

参考文献

関連項目

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