荒木如元
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一ノ瀬氏に生まれたが、荒木元融の養子となり[1]荒木に改姓。元融を師として画を学び兄養子融思からガラス絵の技を嬉々として学んだ。分限帳によると天明元年(1781年)から同7年(1787年)の間に、融思が石崎家の家督を継ぐことになったため、急遽荒木家3代当主として唐絵目利職を引き継ぐ。ひたすら本格的な洋画制作に傾注したという。しかし、寛政3年(1791年)までに、理由は不詳ながら短い期間で荒木家の家督を後継に譲って一ノ瀬姓に復す。
自らは町絵師となって洋画制作に励み、長崎版画の下絵やガラスの絵付などで生計をたてた。蹄斎北馬が描いた狂歌摺物「紅毛男女額絵」(1枚、神戸市立博物館蔵)の画中ガラス絵下辺には「ARAKI ZEZURO」とあり、如元によるガラス絵が江戸にまで知られていたことがわかる。