荒木義朗 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 (1921-07-09) 1921年7月9日東京死没 (1989-06-03) 1989年6月3日(67歳没)東京都死因 肺炎出身校 京都帝国大学法学部あらき よしろう荒木 義朗生誕 (1921-07-09) 1921年7月9日東京死没 (1989-06-03) 1989年6月3日(67歳没)東京都死因 肺炎出身校 京都帝国大学法学部職業 銀行家 テンプレートを表示 荒木 義朗(あらき よしろう、1921年(大正10年)7月9日 - 1989年(平成元年)6月3日)は、日本の銀行家。富士銀行頭取、会長、全国銀行協会連合会会長、経済同友会副代表幹事を歴任した。 東京生まれ。府立高等学校を経て京都帝国大学法学部を卒業。学徒出陣し陸軍経理学校で終戦を迎える[1][2]。 1945年(昭和20年)秋に安田銀行(後の富士銀行)に入行。本店の貸付審査部門を長く担当し、本所、広島の支店長を歴任した[1]。 1970年(昭和45年)取締役に選任され、73年に常務、75年に副頭取、81年から頭取を務め、87年に会長に退く。この間、全銀協会長を2度務め、経済同友会副代表幹事を6年間にわたり担った[3]。 経営に関して「企業のトップやリーダーは、まず身体が丈夫でなければなりません。体が弱ければ、必ず気も弱くなる。それと若い頃から全速力で走ること。息が切れるようじゃ上に進む資格はない。」など啓発的な提言もしていた。 中学1年から36歳までバスケットボールを続け、主将と監督も務めた。草月流の師範であったほか、30代で習った小唄は師範一歩手前まで進み、バラ栽培や写真を趣味とするなど多芸多才だった[2]。1983年(昭和58年)5月からは、前年に死去した金子鋭(富士銀行元会長)の後任として日本相撲協会運営審議委員会委員を務めた。 1989年6月3日、肺炎のため慶應義塾大学病院で死去。67歳[3]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 「人間登場 富士銀行頭取になる荒木義朗さん」『読売新聞』4頁 1981年6月9日 1 2 「人物グラフティ 荒木義朗さん」『読売新聞』夕刊 3頁 1987年9月7日 1 2 「荒木義朗氏死去 富士銀行会長」『朝日新聞』31頁 1989年6月4日 参考文献 竹井博友ほか『財界人の人間修養学』竹井出版、1986年。ISBN 4884741331 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 先代松沢卓二 富士銀行頭取第6代:1981年 - 1987年 次代端田泰三 Related Articles