荒神山古墳
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| 荒神山古墳 | |
|---|---|
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墳丘(左に後円部、右奥に前方部) | |
| 所属 | 荒神山古墳群 |
| 所在地 | 滋賀県彦根市日夏町・清崎町・三津屋町・石寺町 |
| 位置 | 北緯35度14分6.91秒 東経136度11分52.35秒 / 北緯35.2352528度 東経136.1978750度座標: 北緯35度14分6.91秒 東経136度11分52.35秒 / 北緯35.2352528度 東経136.1978750度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 |
墳丘長124m 高さ16m(後円部) |
| 埋葬施設 | (推定)竪穴式石室 |
| 出土品 | 埴輪 |
| 築造時期 | 4世紀末 |
| 史跡 | 国の史跡「荒神山古墳」 |
| 有形文化財 | 出土埴輪(彦根市指定文化財) |
| 特記事項 | 滋賀県第2位の規模 |
| 地図 |
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荒神山古墳(こうじんやまこふん)は、滋賀県彦根市日夏町・清崎町・三津屋町・石寺町にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定され、出土埴輪は彦根市指定有形文化財に指定されている。
滋賀県北東部、琵琶湖東岸にある独立丘陵の荒神山(標高284.1メートル)の尾根に築造された大型前方後円墳である[1]。荒神山では本古墳のほかにも古墳10数基の築造が知られ、それらは荒神山古墳群と総称される[2]。本古墳については2002-2007年(平成14-19年)に測量調査・発掘調査が実施されている[3]。
墳形は前方後円形で、前方部を北北西方に向ける[1]。墳丘は3段築成[1]。墳丘長は124メートルを測るが、これは滋賀県内で安土瓢箪山古墳(近江八幡市、墳丘長134メートル)に次ぐ第2位の規模になる[注 1][1][4]。墳丘外表では葺石のほか、各段で埴輪列が検出されている[1]。埋葬施設は未調査のため不明であるが、後円部中央に盗掘坑と見られる窪みが認められ[1]、周囲に散乱する板石の存在から竪穴式石室であったと推測される[4]。

この荒神山古墳は、古墳形態・出土埴輪等から古墳時代中期初頭の4世紀末頃の築造と推定される[1]。近江地方では、古墳時代の初めは各流域に前方後方墳が営まれ、その後ヤマト王権の伸長を背景に前方後円墳が出現・展開する様相を示すが、湖東地域の場合には、出現期の前方後円墳である雪野山古墳(近江八幡市・東近江市・蒲生郡竜王町)・安土瓢箪山古墳を経て、定型化が一層進んだ畿内型前方後円墳である荒神山古墳の築造に至る。当時は荒神山の山裾まで琵琶湖が迫り、荒神山古墳自体も琵琶湖からの仰望を意識した造りになることから、その被葬者は琵琶湖の水運を掌握したものと推測される。同様の性格を示す大型古墳としては同規模の膳所茶臼山古墳(大津市)も存在し、これらの古墳は琵琶湖を介した当時のヤマト・日本海・東海の各地方間の交流を考察するうえで重要視される古墳になる[5][6][4][1]。なお、荒神山の南方約3キロメートルにある稲部遺跡(彦根市稲部町・彦富町)では、古墳時代初期-前期に超大型建物(最大延床面積188平方メートル)が営まれたことが知られており、荒神山古墳とのつながりが推測されている[7]。
古墳域は2011年(平成23年)に国の史跡に指定され[4]、出土埴輪は2015年(平成27年)に彦根市指定有形文化財に指定されている[8]。