荻原弘子
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埼玉県立川越女子高等学校卒業[2]、聖心女子大学卒業[1][2]。大学生時代はアナウンス研究部に所属していたことで、「その流れで自然とアナウンサーを目指すようになった」と本人は話している[3]。大学卒業後、1977年4月にアナウンサーとして日本テレビに入社。
アナウンサー時代は、主にニュースや天気予報、料理番組などで活躍した。1980年代は夕方のニュース番組に出演し、日本テレビの夕方の顔的存在であった。
1993年に報道局に異動後はディレクターとして、さまざまな問題について取材を行うようになる。『報道特捜プロジェクト』では「オバサンは怒っている」のオバサンリポーターで知られ、家庭の主婦の代表として取材を行った。その取材ぶりはしばしば「突撃取材」と評されることもあった。2005年に24時間テレビ事務局へ異動。
日本各地で講演活動を行い、アナウンサー時代の経験を生かし講演会のコーディネーターを務めることもあった。
2007年に編成局制作推進センターへ異動するも、翌年秋頃より休職し、病気の治療に専念。2009年4月19日、癌のため死去。54歳没[4]。