1928年に太田晃子と結婚後、1男5女をもうける。英国の詩人、パーシー・ビッシュ・シェリーのほか、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)などの研究で知られる。英語が〝敵性語〟と見なされていた太平洋戦争の戦時下でも臆せずに研究活動を続け、1943年にシェリーの評伝を出版した。
旧制柏原中出身の歌人・作家、上田三四二は短編「補助線」の中で荻田がモデルとされる英語教師「荻島」に触れ、「荻島を悪く言う生徒はいなかった。…教え方も正確で力のあることが最初の授業から私にもわかった。生徒は教師の人間を見抜いた上で軽蔑したり敬愛したりしていた」[1] と評している。