菅忠道

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菅 忠道(かん ただみち、1909年4月18日-1979年11月20日)は、児童文学研究家

東京生まれ。父は陸軍軍人。1927年福岡県中学修猷館[1]、1930年第五高等学校文科乙類[2]を経て、東京帝国大学文学部教育学科中退。学生時代から東大セツルメントなどの児童文化運動に関わり、1936年保育問題研究会に参加し、事務局長格の仕事をする[3]。1936-42年岩波書店の雑誌『教育』の編集に参加。1937年からは教育科学研究会生活教育研究部会に所属、その傍ら同じ頃から同研究会の校外教育研究会に参加し、児童文学に取り組む立場から校外の子どもの生活や教育活動を研究した[4]幼児教育を研究対象とすることから、保育問題研究会と教育科学研究会の双方をつなぐ役割を果たす[5]。戦後は日本子どもを守る会副会長、日本児童文学者協会の設立、運営に携わる。1956年『日本の児童文学』で日本児童文学者協会賞受賞。1972年、子ども会活動などの経験をもとに、少年少女組織を育てる全国センターの結成に参画、代表委員を務めた。左翼的な論陣を張った。自ら再話なども行った。長男は理学博士菅民郎

著書

参考

脚注

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