菅野序遊

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菅野 序遊(すがの じょゆう)は、一中節三味線方の名跡。代々菅野派家元

宝暦11年(1761年) - 文政6年12月12日1824年1月12日))

江戸吉原の引手茶屋・3代目桐屋五兵衛の子。本姓は家田氏。父は病弱で家業に差し障りがあったようで、6歳のころには桐屋を相続する。天明6年(1786年)には妹婿に桐屋の経営を譲り、自身は芸能に専心するようになった。また鉄砲同心御家人株を取得している。

当初は河東節2代山彦源四郎に師事して山彦文次郎を称し、文化2年(1805年)には3代目山彦新次郎を襲名、文次郎の名は息子(後の2代目菅野序遊)が継いだ。一方で寛政初年には5代目都一中の一中節にも入門し、やはり文化年間には菅野序遊の名を用いるようになった。古典曲の復活や「羽衣」「廓の寿」「吉原八景」など40曲以上を作曲し、都一中との共著として三味線稽古本『都羽二重拍子扇』を出版するなど、一中節の普及に努めた。

他にも箏曲山田検校(山田流)に、浄瑠璃4代目竹本染太夫義太夫節)に指示するなど芸能において多才だったという。文政6年(1824年)63歳で没。

登場作品

2代目

天明4年(1784年) - 天保12年1月10日1841年2月1日))

江戸の生まれ、初代序遊の実子。最初は河東節の三味線方で山彦文次郎。後に一中節に転じて2代目序遊を襲名した。茶、俳句、書画なども嗜む風流人であった。1839年には6代目都一中で紛糾をし菅野派を企てる。

3代目

4代目

5代目

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