河東節

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河東節(かとうぶし)は浄瑠璃の一種。また古曲の一つ。重要無形文化財(1993年4月15日指定[1])。

江戸半太夫(半太夫節の創始者)の門下である江戸太夫河東(1684年~1725年)が、享保二年(1717年)に十寸見 河東(ますみ かとう)を名乗って創始した。代表的な江戸浄瑠璃のひとつである。

初期には半太夫節に式部節などを加味した語り口を持味にし、庶民からひろく支持された浄瑠璃であったが、後には豊後節常磐津節によって人気を奪われ、このため豊後節禁止を幕府に働きかけるなどの策を弄したことでも知られる。江戸中期以降は人気、歌舞伎伴奏音楽の地位をともに奪われ、主にお座敷での素浄瑠璃として富裕層に愛好された。特に吉原との関係は深く、二代目(?~1734)、三代目(?~1745)の河東は吉原に暮らし、初代、二代、三代の蘭洲は妓楼の主であったといわれる。

三味線細棹を用い、語り口は豪気でさっぱりしていて「いなせ」である。後に山田流箏曲に影響を与えた。

重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されているのは 浄瑠璃 山彦節子、 三味線 山彦千子 である。

主な曲目

脚注

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