菅野氏
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同族
『姓氏録』によれば、同祖の氏族に葛井宿祢(ふじいのすくね)、宮原宿祢、津宿祢(つのすくね)、中科宿祢(なかしなのすくね)、船連(ふねのむらじ)がいる[注釈 1]。この中で、葛井・宮原両氏との関係は、『続日本紀』に載せる延暦9年7月辛巳(17日)条の菅野真道等の上表(上述の改賜氏姓を願った際のもの)において、皇太子の師となる有識者を探していた応神天皇の求めに応じた貴首王が孫の辰孫王を入朝させ、辰孫王の長子、太阿郎王が仁徳天皇に近侍、太阿郎王の孫の牛定君の3人の子から3氏に別れたといい、長子味沙(みさ。味散とも作る)が葛井氏の、仲子辰爾(王辰爾)が宮原氏の、末子の番麻呂が菅野氏の祖となったと述べている。この場合、3氏の氏祖の親は『姓氏録』には塩君(しおのきみ)とされているので、この塩君が牛定君とも呼ばれたことになり、
貴首王 ━ ○ ━ 辰孫王 ━ 太阿郎王 ━ ○ ━ 塩君(牛定君) ┳ 味沙・・・・・・・葛井氏
┣ 王辰爾・・・・・宮原氏
┗ 牛(番麻呂)・・・菅野氏
という系譜となるが、『姓氏録』中科宿祢条では宇志(牛)は塩君(牛定君)の孫とされ、やや混乱がみられる。また、この上表自体が西文氏の始祖、王仁の伝えをまねた始祖伝説であるとされる[5]。