菊 (駆逐艦)

大日本帝国海軍の二等駆逐艦 From Wikipedia, the free encyclopedia

(きく)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、樅型駆逐艦の9番艦である。

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パラオ大空襲で攻撃される第三十一号哨戒艇(菊、1944年)
艦歴
計画1917年度[1]
起工1920年1月20日[1]
進水1920年10月13日[1]
就役1920年12月10日[1]
その後1940年4月1日哨戒艇編入、第三十一号哨戒艇と改名[1]
1941年高速輸送艦に改造[1]
1944年3月30日空襲により沈没[1]
除籍1944年5月10日[1]
性能諸元(計画)
排水量基準:公表値 770トン
常備:850.00トン
全長全長:290 ft 0 in (88.39 m)
水線長:280 ft 0 in (85.34 m)
垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m)
全幅26 ft 0 in (7.92 m)または7.93m
吃水8 ft 0 in (2.44 m)
深さ16 ft 3 in (4.95 m)
推進2軸 x 400rpm
直径 8 ft 6 in (2.59 m)、ピッチ3.378m
または直径2.565m、ピッチ3.353m
機関主機:ブラウン・カーチス式オールギアードタービン(高低圧) 2基[2]
出力:21,500shp
ボイラー:ロ号艦本式缶(重油専焼) 3基
速力36ノット
燃料重油250トン
航続距離3,000カイリ / 14ノット
乗員計画乗員 107名[3]
竣工時定員 110名[4]
兵装45口径三年式12cm砲 単装3門
三年式機砲 2挺
53cm連装発射管 2基4門
魚雷8本
搭載艇内火艇1隻、18ftカッター2隻、20ft通船1隻
備考※トンは英トン
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艦歴

1920年(大正9年)1月20日、神戸川崎造船所で起工[5]。同年10月13日午前7時進水[6]。同年12月10日竣工[5]

1937年昭和12年)、日中戦争において華北沿岸の作戦に参加した[1]

1940年(昭和15年)4月1日、哨戒艇に類別変更。第三十一号哨戒艇に改称。

太平洋戦争において南方での海上護衛、哨戒作戦に参加[1]1944年(昭和19年)3月30日、米空母航空機の攻撃により沈没(パラオ西水道)。同年5月10日に除籍。

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 吉田健介 少佐:1920年10月14日[7] -
駆逐艦長
  • 吉田健介 少佐:1920年12月10日[8] - 1921年12月1日[9]
  • 渋谷荘司 少佐:1921年12月1日[9] - 1922年5月1日[10]
  • 山田定男 少佐:1922年5月1日[10] - 1924年12月1日[11]
  • 鈴木田幸造 少佐:1924年12月1日[11] - 1925年12月7日[12]
  • 野末信次郎 少佐:1925年12月7日[12] - 1926年11月1日[13]
  • 西村祥治 少佐:1926年11月1日 - 1927年11月1日
  • 伊藤皎 少佐:1927年11月1日[14] - 1928年12月10日[15]
  • (兼)池田久雄 少佐:1928年12月10日[15] - 1929年9月29日[16]
  • (兼)境澄信 中佐:1929年9月29日[16] - 1929年11月30日[17]
  • (兼)中川浩 少佐:1929年11月30日 - 1930年11月1日
  • 清水利夫 大尉:1930年11月1日 - 1931年10月24日
  • 橘雄次 少佐:1931年10月24日[18] - 1932年11月15日[19]
  • 杉野修一 少佐:1932年11月15日[19] - 1933年11月15日[20]
  • 七字恒雄 少佐:1933年11月15日[20] - 1934年6月1日[21]
  • 前川新一郎 大尉:1934年6月1日 - 1934年11月15日
  • (兼)鈴木正明 少佐:1934年11月15日[22] - 1935年10月31日[23]
  • 鈴木正明 少佐:1935年10月31日[23] - 1936年12月1日[24]
  • 松原瀧三郎 少佐:1936年12月1日[24] - 1938年8月1日[25]
  • 吉田正一 少佐:1938年8月1日[25] - 1938年12月1日[26]
  • 工藤俊作 少佐:1938年12月1日[26] -

脚注

参考文献

関連項目

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