菊谷匡祐
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神奈川県出身。1958年早稲田大学第一文学部独文学専修卒業。早稲田大学在学中に、所属していた新聞部の原稿依頼を契機として、開高健の知遇を得る。その後、自身が開高健に提供した資料「カフカの断片集中の一片」がもととなり執筆された「流亡記」により衝撃を受け(本人曰く「30枚の短編のはずが120枚の中編となったことが、そのまま彼我の構想力の差に感じられた」)、「開高健の鑑賞家」となることを決意する。
1962年に早稲田大学大学院文学研究科芸術学コース修士課程修了後、出版社勤務ののちも開高健との公私に亘る親交は続き、1977年にはブラジル・アマゾンへの取材行にも同行する。それに先立って企画した「月刊プレイボーイ」編集長(当時)の岡田朴を開高健に紹介した。また、この取材行は「オーパ!」と題して連載された。
その後も自身の著述・翻訳を行うかたわら、開高健の関係するテレビ・雑誌等の企画にたびたび関与した。