萬光寺 (恵那市)

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所在地 岐阜県恵那市上矢作町横道1506
位置 北緯35度18分10秒 東経137度31分11秒 / 北緯35.30278度 東経137.51972度 / 35.30278; 137.51972座標: 北緯35度18分10秒 東経137度31分11秒 / 北緯35.30278度 東経137.51972度 / 35.30278; 137.51972
山号 清水山
宗派 曹洞宗
萬光寺
所在地 岐阜県恵那市上矢作町横道1506
位置 北緯35度18分10秒 東経137度31分11秒 / 北緯35.30278度 東経137.51972度 / 35.30278; 137.51972座標: 北緯35度18分10秒 東経137度31分11秒 / 北緯35.30278度 東経137.51972度 / 35.30278; 137.51972
山号 清水山
宗派 曹洞宗
本尊 十一面観世音菩薩
創建年 寛永年間
開山 盛巌寺五世 天叟全龍
開基 徳翁秀用
中興年 天明年間
中興 海盤
札所等 恵那三十三観音霊場十四番
文化財 木造烏枢沙摩明王立像
木造馬頭観音立像
木造蚕霊神立像
木造聖観音坐像
木造飯綱権現立像
木造三十三応現身立像
法人番号 7200005009489
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萬光寺(ばんこうじ、万光寺)は、岐阜県恵那市上矢作町横道にある曹洞宗の寺院。山号は清水山。恵那三十三観音霊場十四番。

寛永年間(1622年~1644年)に徳翁秀用によって開基された正信寺が元寺と伝わる。

徳翁秀用は、横道村の庄屋藤野作右衛門[注釈 1]から土地と建物の寄進を受けて正信寺を草創した。

藤野作右衛門は、寛永13年(1636年)に没している。

承応年間(1652年~1655年)、徳翁秀用は寺号を萬光寺に改めて横道村の寺にすると、門人の秀悦に住職の座を譲り、明暦元年(1655年)に遠江の圓光寺[1]に移った。

元禄16年(1703年)の『上村中指出帳』の横道村の項には、次の様に記されている。

一、禅宗万光寺 客殿 長五間・横三間、庫裡 長七間・横四間、境内 ニ六間に横一八間、寺付林 長一六間・横三十間、御代々御竿除地に御座候

宝暦年間(1751年~1754年)に岩村盛巌寺から来た海盤は、明暦3年(1657年)に既に遷化していた盛巌寺五世の天叟全龍を開山者にして、自身は、その後継の2世とし、萬光寺を盛巌寺の末寺とした。

この時より、平僧地[2]から法地の寺に昇格した。

天明年間(1781年~1789年)に至り、尾張春日井郡淳豊が、盛巌寺11世の海盤を中興開山に招き再興を果たしたという説もある。

檀家は横道・達原・小笹原の集落に分布している。

恵那市指定の文化財として木造烏枢沙摩明王立像[注釈 2]、木造馬頭観音立像、木造蚕霊神立像、木造聖観音坐像、木造飯綱権現立像[注釈 2]及び木造三十三応現神立像[注釈 2]を有する。

また明治元年(1868年)の神仏分離令により廃寺とされた真言宗当山派大船寺で祀られていた覚林坊飯縄権現/烏天狗)・木造聖観音菩薩坐像・木造三十三応現神立像円頂寺と交代で保管している。

木造聖観音菩薩坐像は、串原中山観音と、かつて矢作川を越えた南側に存在した小馬寺で祀られていた十一面観音立像と、同じ一木から彫り出された三体の一つであったという。

指定文化財

恵那市指定文化財

  • (彫刻)木造烏枢沙摩明王 江戸時代 
  • (彫刻)木造馬頭観音立像 江戸時代
  • (彫刻)木造蚕霊神立像 江戸時代 
  • (彫刻)木造飯綱権現立像 寛文3年(1663年)※円頂寺と交代で保管
  • (彫刻)木造聖観音菩薩坐像 体幹部と後頭部は平安時代、その他の部分は江戸時代前期 ※円頂寺と交代で保管
  • (彫刻)木造三十三応現神立像 ※円頂寺と交代で保管

脚注

参考文献

関連項目

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