岡山県立玉島高等学校時代は同校の中心選手として活躍、主将を務めた。高校二年時には、高速ドリブルからの得点力を武器に岡山県優秀選手に選出される。
卒業後、一般入試で筑波大学に入学し同大蹴球部に所属。
後の数々の有名Jリーガー達の影響を受けた。大学の同級生には、元日本代表の望月重良、上野優作、西ヶ谷隆之、笠原恵太らがいる。
1996年プリマハムFC土浦に入団するも、足首、膝の怪我のため思うような活躍が出来なかったが、リハビリを兼ねて出場した国体関東大会で、チーム得点王になる。
その後チームは水戸FCと合併、水戸ホーリーホックにチーム名変更直後、怪我を理由にチームを去った。
プライベートでは、様々なジャンルのライター[1]として単独執筆[2]、共同執筆[3][4]と活躍中。