水戸ホーリーホック
日本のサッカークラブ
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水戸ホーリーホック(みとホーリーホック、英: Mito HollyHock)は、日本の茨城県水戸市、日立市、ひたちなか市、笠間市、那珂市、小美玉市、常陸太田市、北茨城市、常陸大宮市、高萩市、茨城町、城里町、大洗町、大子町、東海村、筑西市、石岡市、桜川市をホームタウンとする[2]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
| 水戸ホーリーホック | |||
|---|---|---|---|
| 原語表記 | 水戸ホーリーホック | ||
| 呼称 | 水戸ホーリーホック | ||
| 愛称 | ホーリーホック | ||
| クラブカラー | 青[1][2] | ||
| 創設年 | 1994年 | ||
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ | ||
| 所属ディビジョン | J1リーグ | ||
| クラブライセンス | J1(2026シーズン)[3] | ||
| ホームタウン | 茨城県水戸市、日立市、ひたちなか市、笠間市、那珂市、小美玉市、常陸太田市、北茨城市、常陸大宮市、高萩市、茨城町、城里町、大洗町、大子町、東海村、筑西市、石岡市、桜川市[2] | ||
| ホームスタジアム | 水戸信用金庫スタジアム | ||
| 収容人数 | 22002 | ||
| 運営法人 |
株式会社フットボールクラブ 水戸ホーリーホック[2] | ||
| 代表者 |
| ||
| 監督 | 樹森大介 | ||
| 公式サイト | 公式サイト | ||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |||
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 |
〒310-0015 茨城県水戸市宮町1丁目7-44 COMBOX3101階 |
| 設立 | 1997年2月7日 |
| 業種 | サービス業 |
| 法人番号 | 1050001002213 |
| 事業内容 | サッカークラブの運営 |
| 代表者 | 小島耕 |
| 資本金 | 1億円 (2024年1月期) |
| 売上高 | 11億0,400万円 (2024年1月期) |
| 営業利益 | 500万円 (2024年1月期) |
| 経常利益 | 500万円 (2024年1月期) |
| 純利益 | 600万円 (2024年1月期) |
| 純資産 | 1億7,100万円 (2024年1月期) |
| 総資産 | 6億1,500万円 (2024年1月期) |
| 決算期 | 1月期 |
| 外部リンク | http://www.mito-hollyhock.net |
概要
1994年にFC水戸として創立[2]、2000年よりJリーグへ加盟している[2]。
クラブ名の「ホーリーホック (HollyHock)」は英語で「葵(タチアオイ)」を意味し、水戸藩(水戸徳川家)の家紋の葵[注 1] から採られた[2]。ホームスタジアムはケーズデンキスタジアム水戸[2](Ksスタ)。クラブエンブレムは水戸徳川家の家紋「三つ葉葵」の外周を「水戸黄門」こと2代目水戸藩主・徳川光圀の字「子龍」に由来する龍が囲む円形[4]。2014年には、クラブ後援会「葵龍会」の会長に水戸徳川家第15代当主の徳川斉正を迎えている[5]。
マスコットキャラクターは龍がモチーフの「ホーリーくん」[2]。2002年に公募によりデザインと名前が制定された。背番号310(みと)[注 2]。
ホームタウンは創立当初は水戸市のみだったが、2017年11月に水戸市周辺(県央地域)に位置するひたちなか市、笠間市、那珂市、小美玉市の4市と東茨城郡・那珂郡の4町村(茨城町、城里町、大洗町、東海村)を追加した[6]。2022年9月からは新たに県北地域の日立市、高萩市、北茨城市、常陸大宮市、常陸太田市、久慈郡大子町の5市1町をホームタウンに追加した[7][8]。
2000年のJリーグ参入から2025年までJ1リーグへの昇格・J3リーグへの降格ともになく、J2リーグの最長在籍クラブ(26シーズン)を記録していたが、2025シーズンにおいてJ1昇格・J2優勝を決め、J2リーグ連続在籍記録に終止符を打った。[9]
歴史
前史
水戸市で1994年に創設したフットボールクラブ水戸(フットボールクラブみと、FC水戸)を起源とする[2]。茨城県リーグ4部に参戦し、1996年には2部で準優勝を果たしている[10]。
1997年、土浦市に本拠地を置いていたプリマハム土浦工場の実業団チーム「プリマハムフットボールクラブ土浦」(プリマハムフットボールクラブつちうら、プリマハムFC土浦、1990年創設)と合併して[2]、株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホックを設立し、現在の体制が固まった。当時関東サッカーリーグ所属だったプリマハムFC土浦は1996年の第20回全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝し、翌年からのジャパンフットボールリーグ(旧JFL)への昇格が内定していたが、プリマハムがサッカー部への支援を打ち切り廃部が決まったことを受け、FC水戸と合併した[10]。なお、水戸ホーリーホックやJリーグの公式ホームページでは1994年をクラブの創設年と記載しており[2][10]、プリマハムFC土浦は傍系扱いとなっているが、プリマハムFC土浦の持っていた旧JFLの参加資格を承継するために、形式的にFC水戸が吸収された形を取った[注 3]。プリマハムFC土浦は全国社会人サッカー選手権大会優勝(1995年)、関東サッカーリーグ優勝(1995年)という成績を残している。
1997年 - 1998年(旧JFL)
1997年
水戸ホーリーホックとして初の公式戦は1997年4月20日、旧JFL開幕戦の札幌戦(笠松運動公園陸上競技場)で、0-2で敗戦。ここから14連敗し(うち延長戦でのVゴール負けが2試合)、初勝利は7月19日、第15節の川崎戦(1-0)となった。なお、Jリーグ準会員だった川崎は、このシーズンの最終成績で勝ち点1及ばずにJリーグ昇格を逃している。水戸は後半戦に3勝を挙げたが、16チームのリーグ戦で最下位に沈んだ。しかし、札幌のJリーグ昇格と福島FCの消滅により、地域リーグ決勝大会2位チームとの入替戦は行われず、水戸は残留を決めた。
1998年
監督に三浦俊也を迎え、巻き返しを図ったが、年間予算が1億円強と言われ、プロ契約選手でもガソリンスタンドや水産加工所でのアルバイトをしないと生活出来ない状況では成績の劇的な向上は難しく(NHKサンデースポーツでの特集によると年俸は100万円程度だったと報じられている)、最下位脱出が精一杯だった。この年、翌1999年からスタートするJリーグ ディビジョン2(J2)への加盟を申請するも、経営基盤の不安定さ、スタジアム改修に対する地元自治体の動きの鈍さから加盟は見送られ、日本フットボールリーグ(JFL)参加となった。
1999年(新JFL)
監督が二宮浩に交代したが、9チームによる3回戦総当たり制(ステージ制)のリーグ戦で苦戦し、第1ステージでは6位に終わった。しかし、南光太などの活躍により、第2ステージではこの年に優勝した横浜FCにこそ敗れたものの7勝1敗の首位となり、通算では3位でシーズンを終えた。Jリーグへの昇格条件は「JFLで2位以内」だったが、優勝が特例参加による準会員資格の横浜FCだったため、JFL正会員の中では2位という点が考慮され、翌2000年からのJリーグ(J2)加盟が認められた(Jリーグの2部制導入後最初のJリーグ参入チームとなった)。
2000年 - 2025年(J2)
2000年
チーム初の外国人監督としてセルビア人のバビチ・ブランコを招いた。J2昇格後の初公式戦を3月11日の浦和戦(浦和駒場)で迎え、0-2で敗れた。資金・戦力の欠乏を理由に専門誌などでは先行きを危ぶまれたが、第2節の大分戦でJ初勝利をあげると、全試合出場を果たしたGK本間幸司を中心とした粘り強い守備や(失点数はリーグ7位タイ)、シーズン途中加入で36歳の高齢ながら元ブラジル代表の技を披露したFWジョン・パウロなどの活躍により、昇格初年度の最終順位は9位、しかも6位の鳥栖までは勝ち点5差という善戦を見せた。
2001年
シーズン前に新潟から木澤正徳、川崎から池田伸康などベテラン勢を獲得するも、シーズン前半は1勝しか挙げられなかった。その後、補強した韓国人選手の活躍や、メインスタジアムの笠松運動公園陸上競技場のグランドオープン効果などがあり、最終的には最下位を脱出し、11位で終了した。監督は川崎で指揮を執っていた小林寛を招いたが、7月にはゼネラルマネージャーへ転身し、コーチの菅野将晃が監督に昇格して後を継いだ。シーズン後、経営難からチーム存続問題が浮上し、FC水戸代表としてのプリマハムFC誘致からクラブ経営を続けた石山徹が社長を辞任し、小林が石山の所有株と社長職を引き継いで、チームのJリーグ加盟が暫定承認されることになった。なお、この年のチーム得点王(10得点)は東海大から加入して2年目の須藤大輔で、翌年に湘南へと移籍したが、その際の移籍金は苦しい水戸の財政を少なからず助けたとも言われている。
2002年
菅野体制2年目。小林新社長が経営安定化とチーム成績向上を迫られた一年となった。菅野体制2年目のチームではFW小野隆儀が14得点を挙げ、守備でもシーズン失点数はリーグ最下位ながら前年比20点減の73失点に抑えて、最終順位は前年より1つ上がり、10位となった。一方、J2リーグ戦1試合の平均観客数は前年の1559人から2739人に増え、2002年W杯のために来日していたコスタリカ代表との国際親善試合も実現した。これらの実績により、水戸はJリーグから加盟継続が正式に承認された。しかし、増えたとは言っても水戸の観客動員数はJ2最低で、平均の約4割にとどまっていたため、更なる努力が求められた。
2003年
クラブの存続問題が一息ついたこの年、1980年代に日本代表の主将として活躍した前田秀樹を監督に迎え、守備重視からのカウンター戦術をベースにしたチーム強化に乗り出した。この年は同年シーズンにJ2へ降格していた広島からレンタル移籍で獲得したDFトゥーリオが活躍。センターバックとして水戸の守備を固めると共に、機を見てどんどん攻め上がり攻撃に厚みを加え、DFでありながらチーム内得点王となる10ゴールを記録した。トゥーリオは10月に日本への帰化が認められ、登録名を現在の田中マルクス闘莉王に変更した。これらの活躍もあって、水戸は4回戦制のJ2で開幕ダッシュに成功し、一時は首位、11節終了時の第1クールでも2位という好成績を挙げた。その後は徐々に順位を下げたが、最終順位でもチーム史上最高の7位にまで躍進した。10月からは過去の経営危機への反省から、運営資金を広く集め、地域社会での認知度を高めるために「水戸ホーリーホック支援持株会」が拠出金募集を開始した。
2004年
- チームスローガン:ムービングフットボール
前田体制2年目。前年大活躍した闘莉王のレンタル移籍が延長されず浦和へ完全移籍し、それまで長らくチームを支えたFWの小野、北川、ディフェンスラインを支えた冨田大介が移籍した。一方、川崎から小林康剛を、大宮から磯山和司など地元茨城出身の選手を獲得した。
開幕戦の湘南戦で9,155人の観衆を集めた。またこの年の平均観客動員数3,773人は2012年に塗り替えられるまでの最高記録であった。しかし前年と比較して主力が多数入れ替わった影響か、なかなか勝ち星が奪えずホームでは5月5日の大宮戦から10月16日の甲府戦まで13戦勝利なしという事態が続いた。この間7月24日の川崎戦ではアウェー戦会場の等々力陸上競技場に集まった水戸サポーター有志による第1回納涼漢祭りが開催され、他チームのサポーターの間でも反響を呼んだ。結局チームは年間6勝しかできなかったが、44試合中19試合(42%)の引き分け(勝ち試合6試合分)で積み上げた勝ち点が効いて、2年連続一桁順位の9位となった。
また天皇杯4回戦で鹿島との「茨城ダービー」が公式戦で初めて実現した。偶然にも「茨城県民の日」である11月13日の対戦になった(試合は0-1で水戸の敗戦)。
2005年
- チームスローガン:ストロングハート
前田体制3年目。この年は、開幕前に2つの変化があった。この年から1月のチーム始動後の1次キャンプを福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズで行い、同所でキャンプ最終日にファンクラブ会員イベントを行うようになった。2月には「いばらきサッカーフェスティバル」として鹿島とのプレシーズンマッチが行われ[11]、以後年1回の頻度で定例化した。鹿島は水戸市内でも公式ショップや小学生・幼稚園児(4種)向けのサッカースクール(旧内原町)などを開設しているため、後発の水戸とは競合関係にもあったが、この試合は両者の関係改善を示した。また、この年にJFLから草津が昇格し、水戸は草津との対戦を「北関東ダービー」と称して共同参加キャンペーンを実施した。10月には日立市出身のシンガーソングライター、ecoによる公式応援歌「走れ☆ホーリーホック!」が発売された。
一方、チームは強化策として前年の決定力不足解消のため、パラグアイ人FWのデルリスを獲得し、彼にボールを集中させるため基本システムをそれまでの4-4-2から4-5-1へと変更した。序盤は連敗をしたものの、システム変更策は功を奏し、デルリスは前半戦のみでチームトップの8得点を決めた。しかし、その得点力に注目した札幌がレンタル元のチームに好条件を出したため、デルリスがシーズン中盤に移籍したが、シーズン後半はDF陣の相次ぐ攻撃参加や、若手のファビオの加入などで2年ぶりの2桁勝利となった。
2006年
- チームスローガン:CHEMISTRY 〜新たなる融合〜
前田体制4年目。2月、チームの応援を盛り上げるための女子チアリーディングチーム、「Mito Holy's」(水戸ホーリーズ)を発足。4月2日からはJR水戸駅ビル「EXCEL」の屋上に新規設置された人工芝のミニサッカー場「FUTPARQUE MITO」(フットパルケ水戸)の運営を請け負うことになった。
チームは5月6日の第14節の札幌戦(笠松)で、レンタル移籍で加入したブラジル人FWアンデルソンがハットトリックを達成。これは水戸の選手がJ2リーグ273試合目で記録した初のハットトリックだった。第15節の東京V戦ではクラブ史上初めて国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で試合を行い、アンデルソンの2試合連続ゴールで1-0と勝利した。
6月2日の横浜FC戦では横浜FCの連続無失点記録を770分で止めたり、6月24日の柏戦では、後半ロスタイムで土壇場の同点に追いつき引き分けに持ち込むなど、J2上位クラブを大いに苦しめた。8月13日には那珂川河川敷の水戸市市有地に3面整備された「水府町グラウンド」が開場し、クラブの悲願だった専用練習場「ホーリーピッチ」として水戸に利用権が与えられた。
シーズン後半から前田監督は将来の上位進出に備えるため、カウンター重視の守備的戦術からボールを保持し、ショートパスの連続から能動的にゴールへ迫る攻撃的な戦術への転換を開始した。これは「サッカーの質を上げるために必要な措置」と評価された反面、対戦相手の監督から「あまりにも消極的」と非難されても守り続けるのをやめたことで、逆に「内容は良いが勝てない」という試合が増えた。その結果、勝ち点は伸び悩み、昨年と同じ10位でのシーズン終了となった。1試合平均観客数も3017人まで落ち込んだ。
2007年
- チームスローガン:Believe in Myself あきらめない
前田体制5年目。前年17得点のアンデルソンが鳥栖へ移籍し、更にキャプテン吉本岳史が故障で離脱。その結果チームは出遅れ、シーズン初勝利は第13節の東京V戦となり、2勝目も第21節の山形戦となるなど、前半戦(第26節)終了時点でわずか3勝にとどまった。観客動員も更に落込み、第11節の湘南戦は3桁台の958人となった他、前半戦主催12試合中6試合で観客数が2000人以下となった。チームの勝敗のみならず、低予算でのクラブ経営、少人数体制での顧客サービスの低下、クラブスタッフの相次ぐ退職などからサポーターへのアプローチやスポンサーへの営業力が低下し、クラブ経営を問われる声が上がった。この状況に対し、クラブ株主の過半数から小林の経営責任を問う声が上がり4月23日付で宮田裕司が社長に就任した。
チームは旧JFL以来10年ぶりのリーグ戦最下位を回避するため、Jリーグで9シーズン目となるベテランのブラジル人MFビジュを獲得するなど、チーム戦力の再整備を行った。シーズン後半は昨年後半から続けてきたアクションサッカーの戦術が浸透してきたことにより前半より失点数が減った。最終成績は12位で8勝しか挙げられなかったが、そのうちの3勝は東京V、札幌、C大阪など、J2上位クラブから挙げた。
1月にはMF小椋祥平がU-22(22歳以下)日本選抜に選ばれ、次いで6月6日の北京オリンピックアジア二次予選マレーシア戦に出場した。小椋は修徳高校から2004年に入団、1年目からトップチームで出場し、他のプロチームを経由せずに水戸入りした「生え抜き」選手では最も高い年代の世代別代表入りとなった。
しかし、去就が噂されていた前田は2007年シーズン限りで監督を退任。更に、キャプテン吉本が横浜FCへ、小椋は横浜FMにそれぞれ移籍した。なお、シーズン3勝目となった6月17日の第22節愛媛戦が行われた水戸市立競技場は、この試合を最後に大規模な改装工事に入った。
また、チーム通算310得点(通称水戸GOAL)を、当時キャプテンだった吉本岳史がPKで決めている。
2008年
- チームスローガン:TOGETHER Concentrate the mind on the present moment.
水戸OBの木山隆之が監督に就任。補強は他のJクラブ出身選手の目立った獲得はせず、大学サッカーでそれなりの実績を挙げた選手の獲得に重点を置いた。また、浦和から赤星貴文、東京Vから弦巻健人らをレンタルで獲得した。
開幕から5試合は、ここ2年間のJ1在籍経験チーム(うち3〜5節は2007年J1在籍クラブ)との対戦となった。結果として5節終了時点で1勝2敗2分と健闘するが(うち前年J1在籍クラブ全てから勝ち点を取った)、3月31日に社長の宮田裕司が、前年8月のクラブスタッフとの親睦会での飲酒運転が発覚し辞任(後任として沼田邦郎が就任)。更に、4月には取締役強化部長の鬼塚忠久が前述の宮田辞任に関連して退任、また水戸ホーリーホック初代社長であり、チームのJリーグ参戦に貢献した竹村徹(旧姓・石山)が死去した。
そんな中、5月に韓国五輪代表候補である朴柱昊が加入、5月末、7月に3連勝するなど、チーム成績は上昇機運に乗り、このシーズン加入した荒田智之が新人ながら多くの得点を挙げ、遠藤敬佑もU-19日本代表に選ばれた。また、9月7日にKKWINGにて行われた熊本戦において、Jリーグ昇格後100勝目となる勝利をあげた。更に、2008年9月28日の仙台戦では荒田の2ゴールなどで仙台から初勝利を上げたが、リーグ終盤はロングボール主体の戦いになってしまうなどゲーム内容が悪くなり失速、15チーム中11位でシーズンを終えた。勝ち点も、目標としていた50にはあとわずか届かなかった。
マスコットであるホーリーくんの入院及び手術(ホーリーくんの着ぐるみのリニューアル)をするための費用として、11月下旬から12月上旬にかけてサポーター有志からの募金とホーム最終戦で行われたチャリティーオークションで100万円以上の入院・手術費用が集まった。ホーリーくんの着ぐるみは2008年シーズン開始当初から頭が割れたり、しっぽがちぎれそうになったりしており、怪我(破損)した部分を包帯で巻き、なんとか試合会場やイベント会場に来ていた。また、試合やイベント会場でも、痛々しい姿を指摘する子どもたちの声もあった。着ぐるみの耐用年数は約2年と言われており、Jリーグの多くのチームは数体予備を用意しているが、予備が無く、チーム財政も厳しいため、今回の募金活動が行われた。
2009年
- チームスローガン:前へ。
この試合の勝利により、 2009年2度目の4連勝を達成。 |
木山体制2年目。浦和からFW高崎寛之、FC東京から森村昂太、愛媛FCからMFキム・テヨンをそれぞれレンタルで獲得。チーム発足以来初めて、A代表歴を持つ吉原宏太が加入。
ホーム開幕戦から9年ぶりの4連勝を飾り、4月26日の岡山戦で、荒田智之がチーム2人目のハットトリックを達成。一方でその荒田、菊岡などの攻撃陣が相次いで負傷、その後に控えた上位相手に大量失点することが目立った。そのため、5月20日には湘南からFW山本孝平が、その翌週にはFC東京からMF下田光平が共に期限付きで加入した。第2クールでは再び4連勝を記録(右図)。上位4チームに負けただけで、順位も5位で折り返すなど一時は昇格争いを展開。「昇格しか見えない」というゲートフラッグが登場するほど好調だったが、第3クールでは5試合連続完封負けを含む8連敗を記録して失速。第45節終了時点で、J1昇格の可能性は消滅した。
第24節C大阪戦で、C大阪のDF前田和哉によるオウンゴールによりチーム通算400ゴールを達成。この時、誰が400ゴールを挙げるかをファン・サポーターから募集しており、当たった人の中から抽選で1名に400ゴールを挙げた選手のサイン入り試合球が貰えることになっていたが、サインはこの試合にスタメン出場した選手全員のものが入ることになり、当選対象者も応募者全員の中から抽選で1名となった(オウンゴールは投票対象外だったため)。7月8日の福岡戦でFW遠藤敬佑がチーム3人目のハットトリックを達成し、更に8月30日の岡山戦で高崎寛之が、チーム4人目のハットトリックを達成した。
11月3日に水戸市立競技場がリニューアルされてケーズデンキスタジアム水戸(Ksスタ)が竣工。杮落しは11月8日の仙台戦で敗戦(0-4[注 4])。同スタジアムでの水戸の勝敗は1勝2敗[注 5]。
最終成績は21勝20敗10分の勝ち点73で8位となり、J2リーグ参加10年目で初めて勝ち越し。前述の通り1シーズンで3人のFW(荒田智之、遠藤敬佑、高崎寛之)がハットトリックを達成するなど、総得点でも70点台に到達した。
2010年
- チームスローガン:超えろ。
木山体制3年目。FW荒田、高崎が退団し、得点力不足に苦しむ。外国籍選手がいないシーズンとなった。
成績は上向かず、16位に沈んだ。総得点は19チーム中17位の29得点。
NHKの番組「欽ちゃんのワースト脱出大作戦」とのコラボ企画で観客動員数増加に取り組む。特に10月31日に行われた柏戦では、観客動員をクラブ史上初の1万人突破となる10,181人が来場し、年間来場者数は19チーム中18位で最下位を脱出した。シーズン後、木山が監督を退任し、柱谷哲二が監督に就任。
2011年
- チームスローガン:かけろ。
柱谷体制1年目。前年大卒新人の藤川祐司と作田裕次が大分へ完全移籍した(この2人を含めて12人が退団)。一方、Jリーグ再挑戦となる岡本達也をはじめ12人がクラブに新加入。
1月に公式試合安定開催基金からの借入申請を行ったことを発表[12]。
3月11日、東日本大震災により水戸も被災。ホームスタジアムであるKsスタが著しく損傷も、代替開催可能な競技場がないため、Ksスタのメインスタンドを閉鎖(損壊箇所修繕を含めた耐震補強のため)した上で使用を継続。10月16日の東京V戦からメインスタンドの使用が再開(ただし最初の2試合は工事資材の撤去作業の都合上「仮オープン」とし、10月30日の草津との試合から完全復旧となった)[13]。
6月3日には鹿島などで活躍した元日本代表鈴木隆行(本人の希望によりアマチュア契約)の入団を発表し、代表経験者が被災クラブの援助を理由に無報酬契約を発表したことで大きく報じられた。増資や募金により、10月20日に借入金3000万円を完済[14]。12月21日には水戸市議会において初めてホームタウン・水戸市からの出資が可決され[15]、運営危機を回避。
リーグ戦は17位と振るわなかったが、天皇杯・3回戦ではJ1のG大阪を延長戦の末3-2で破り、クラブ創設以来初のJ1クラブ勝利を達成した。
2012年
- チームスローガン:たつ
柱谷体制2年目。元日本代表の市川大祐などを完全移籍で獲得、鈴木隆行とプロ契約を結んだ。8月に塩谷司が広島へ移籍。
開幕から3連勝と好調で、第4節終了時にはJ1昇格圏内の2位となる。その後順位を落とし、最終順位は13位。1試合平均観客数3,973人となり2004年の記録を更新した。
2013年度のJリーグクラブライセンス申請においてJ2ライセンスの対象となり、2012年度のリーグ戦の成績が6位以内でもJ1への自動昇格もしくはプレーオフ参加の対象外となった[16]。
2013年
- チームスローガン:みち
柱谷体制3年目。DF冨田大介が10年ぶりに復帰。
第29節時点で7位につけるも、その後10試合勝利なしで失速し、最終順位は15位。一方で、G大阪戦では2度目となるホームゲームの入場者数1万人超えを達成、年間平均入場者数4,630人となり前年の動員記録を更新した。
J2参加14年目となりJ2最長クラブに、前年と同様の理由で交付されずJ2ライセンスのみの交付となった[17]。
2014年
- チームスローガン:そう
柱谷体制4年目。
成績面では8試合勝利なしなど勝ち星を伸ばせず、前年と同じ15位に終わった。収支面ではユニフォームスポンサーの撤退により4期ぶりの赤字となった[18]。
スタジアム問題を解決できずJ2ライセンスの交付となった[19]。
2015年
- チームスローガン:皆翔 (かいしょう)
柱谷体制5年目。
5月以降の不振により、6月7日に柱谷監督を解任[20]。後任にはヘッドコーチの西ヶ谷隆之が就任[21]。監督交代後も連勝がなく、過去最低の19位であったが残留を果たした。天皇杯3回戦で鹿島にPK戦で公式戦で初勝利した。
年間観客動員数が10万人の大台を突破。対照的にJ2ライセンスの交付となった。
2016年
- チームスローガン:全力
西ヶ谷体制2年目。16人の選手が去り、13人が開幕前にチームに加わった。夏にはエース・三島康平の松本移籍も発表されている。7月16日のFC岐阜戦でJ2通算200勝を達成。最終順位は13位。J2ライセンスの交付となった。
2017年
- チームスローガン:前進
西ヶ谷体制3年目。かつて水戸のエース・橋本晃司が川崎フロンターレから復帰。
第8節から第20節までクラブ新記録となる13試合連続無敗を記録。最終順位は14位。J2ライセンスの交付。シーズン終了後、西ヶ谷監督が退任した。
2018年
- チームスローガン:一新
2019シーズンのJリーグライセンスは、ホームスタジアムについて、成績面でJ1昇格要件を満たした場合に、入場可能人数15,000人を満たす笠松運動公園陸上競技場にライセンスを充足するための改修工事を実施する(J1昇格要件を満たさなかった場合は引き続きケーズデンキスタジアム水戸を使用する)前提でJ1ライセンスを申請。これが認められ、条件付きながらクラブとして初めてJ1ライセンスが交付されることとなった[22] が、最終的に2019シーズンはJ2ライセンスへ変更(スタジアム改修の順位要件を満たせず[23])。
2019年
- チームスローガン:彩 (いろどり)
長谷部体制2年目。開幕から12戦無敗(7勝5分)で一時は首位に立つ。最終的に7位となり、過去最高順位は達成したものの、僅差でプレーオフ進出を逃した。シーズンオフに長谷部監督が退任し、秋葉忠宏が監督に就任[注 6]。
2020年
秋葉体制1年目。後述の新スタジアム建設構想の発表に伴い、2020年度ライセンス(2019年申請)から適用された「スタジアムの例外規定2」の特例[注 7] の適用申請を行った。9月のJリーグ理事会において、上記例外規定適用による通常のJ1ライセンス交付が認められた[24]。
2021年
順位を1つ落とし10位。
9年ぶりに北関東ダービー王者の座を群馬に譲る。
2022年
シーズン後半の不調で一時14位に後退するも、最終2節を逆転勝利し、2年ぶりに北関東ダービーを制し、順位を13位に上げてシーズンを終える。
10月2日に秋葉忠宏が今季で監督を退任することが発表された[25]。
最終成績は14勝12分16敗の13位。
2023年
濱崎芳己が監督に就任。最終成績は11勝14分17敗の17位。
2024年
2025年
森体制2年目。例年のように選手の入れ替わりの多いオフであったが残った選手と新戦力が上手く噛み合い、上位を争う。
ルヴァン杯は1stラウンド2回戦でJ1ガンバ大阪に敗退。天皇杯は1回戦でJ3相模原に敗退。
J2リーグ戦ではクラブ史上初の8連勝を飾るなどし、J2リーグ戦前半戦を首位と同勝ち点の2位で折り返した[27]。特に5月度のJリーグ月間表彰では、月間MVPに渡邉新太(4月度から連続)、月間ベストゴールに齋藤俊輔(2025年5月6日・第14節山口戦)、月間優秀監督賞に森直樹と3冠を獲得した[28]。
終盤で一時首位に立つが、昇格争いのライバルだった千葉、大宮、長崎との直接対決に敗れて2位に落ちる。しかし最終節で大分に勝利して、前節終了時点で首位だった長崎を抜き1位でフィニッシュ。チーム創設以来初のJ2リーグ優勝・J1昇格を決めた[29]。J2参入から26年目での初昇格は歴代最長、過去最高順位も7位で、直近4年は二桁順位に低迷していた[30]。また、昇格経験のないチームが優勝するのは、町田ゼルビア以来2年ぶりとなった。
2026年 - (J1)
2026年・J1百年構想リーグ
成績
ダービーマッチ
茨城ダービー
同じく茨城県内に本拠地を置く鹿島アントラーズとの対戦。
いばらきサッカーフェスティバル
2005年から開始された、鹿島アントラーズとのプレシーズンマッチ。
タイトル・表彰
リーグ戦タイトル
カップ戦タイトル
- 全国社会人サッカー選手権大会:1回(プリマハムFC土浦)
- 1995年
個人別
その他受賞
- 水戸市スポーツ功労賞
- 2025年
スタジアム・練習場
スタジアム

2010年から2026年夏まで、ホームスタジアムは水戸市立競技場(ケーズデンキスタジアム水戸、過去のホームゲーム開催スタジアムは「年度別入場者数」を参照のこと。通称「Ksスタ」)。Ksスタは2009年に改修されるまでは収容人員がわずか5,000人しかなく照明設備もなかったため、Jリーグのホームスタジアム規定を満たせなかったことから、開催基準を満たす笠松運動公園陸上競技場(那珂市)を長年ホームスタジアムとしていたほか、笠松が2002年の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)のメイン会場となり改修工事が行われた2000年はひたちなか市総合運動公園陸上競技場(ひたちなか市)と日立市民運動公園陸上競技場(日立市)の2会場を中心に主催試合を行なった。また平日のナイターの一部を隣県の栃木県グリーンスタジアムで開催している[注 8]。
Ksスタが2009年まで改修が行われなかったのは、JFL参入時のクラブと水戸市との軋轢に由来する。1996年にJFL昇格を決めたプリマハムFC土浦と合併し、水戸市を本拠地としてJFLでの活動を目指していたFC水戸であったが、市の反応は極めて冷ややかであった[31]。当時の水戸市長であった岡田広は水戸商業高校の野球部応援団OBであり圧倒的な野球派でサッカー嫌いであったが、奇しくも当時のクラブ代表であった石山徹が同校のサッカー部OBであったため、水戸市へのJFL誘致を巡って両者はたちまち犬猿の仲となった[32][33]。結局双方とも対立したまま歩み寄ることはなく、最終的に水戸市は本拠地とすることを認める代わり、クラブに対し「競技場・練習場の供給を含む一切の資金援助を求めない」とする覚書を提出させた[32][33]。この確執が長きにわたりクラブに禍根を残すこととなり、ホーリーホックがJリーグに参入する時も水戸市はこの覚書を盾にKsスタの整備予算を計上せず、笠松など市外のスタジアムの使用を余儀なくされたものである。
その後は市長も交代し、2007年には老朽化が進んでいたKsスタをホームスタジアムとするべく改修工事に入る。2009年11月に改修工事が竣工。命名権により「ケーズデンキスタジアム水戸」(Ksスタ)の名称が与えられ、晴れて水戸市にホームスタジアムを構えることとなり、2009年11月8日のベガルタ仙台戦から使用を開始、この年は終盤の3試合を開催、2010年度から正式に本拠地登録をKsスタに変更し、原則として主管全試合を開催してきた。
なお、Ksスタは2009年の改修後もJ1基準の収容人員(15,000人)を満たしていないため、水戸市議会がKsスタのJ1基準への改修工事を行なう方針を発表[34][35]、事業に着手した。当初は2016年の完成を目指していた[36] が、用地取得の問題から2017年時点でも本格的な工事着手の目途は立っておらず[37]、2017年3月の水戸市議会で、高橋靖水戸市長が、2019年に茨城県で行われるいきいき茨城ゆめ国体終了後の工事着手を目指す方針であると意向表明している[38]。
一方で、2016年度の公認陸上競技場認定の更新に向けたインフィールドの改修工事が先行して行われており、2015年は芝生の入れ替え工事・およびそれに付随した養生期間が必要[37] であるため、開幕当初から5月までに予定される5試合を5年ぶりに笠松で開催し、Ksスタでの開催は5月17日の大分戦以後となった[39]。
2018年6月29日、クラブは2019年シーズンのJ1クラブライセンス取得に向けた申請書類を提出したことを公表[40]。Ksスタと22,002人収容の笠松の両方をホームスタジアムとして申請し、J1ライセンスを取得して順位条件を満たしてJ1に昇格した場合はJ1スタジアム基準を充足するように短期での改修を施した上で、原則として笠松でホームゲームを行い、J1昇格が果たせなかった場合は引き続きKsスタを使用する方針とし、条件付きながらJ1ライセンスを取得することができた[41]。ただし最終的に成績面でJ1昇格条件を満たせなかったことから、笠松の短期改修を見送ることとなり、J2ライセンスへの変更が確定した[42](2019年も同様の申請を行い、認められている[43])。
しかし、その間もKsスタのスタンド増設交渉が難航し進展が進んでいないことから、2019年8月26日に水戸市長・高橋靖が定例会見で「現在芝生席となっているゴール裏・サイドスタンドを立見席にしたうえで、収容可能人員をJ1基準まで充足できるようにする」方針を固めたことを明らかにし、2019年9月水戸市議会で基本計画策定用の補正予算案500万円を計上することを提案した。今後2020年度に計画設計をして、2024年度をめどに完成させたいとしている[44]。ところが、後述のようにクラブが民設計画を発表したことで、水戸市は収容人員増計画を撤回した。
2025年シーズンの結果、水戸が2026-27シーズンからJ1に昇格してリーグ戦を戦うことになったことから、スタジアム問題に関して茨城県と球団による協議が開始され、その結果、クラブは水戸市を出て、J1スタジアム基準のうち収容人員規定(15,000名)を充たす「水戸信用金庫スタジアム(笠松運動公園陸上競技場)」を正式にホームスタジアムとして利用することが両者間で合意された。今後見込まれる施設改修費用の負担や試合開催時などの観客の入退場に関わる交通整理、他競技団体との競技場使用調整などについてはホーリーホックが責任を持って対応することなども取り決められた。今般の合意事項を受けてホーリーホックがJリーグ事務局にホームスタジアムの変更申請を行い、Jリーグからの承認が降り次第、秋春制が導入される2026年8月開幕予定の新シーズンからホームゲームを水戸信用金庫スタジアムで開催することとなっている[45]。
- 主本拠地
- 1997年・1998年前期(以上旧JFL)・2001年-2009年秋(J2):笠松運動公園陸上競技場
- 1998年後期(旧JFL)・1999年(JFL)・2000年(J2):ひたちなか市総合運動公園陸上競技場
- 2009年秋(J2)- 2026年春(ただし、公式には2010年に移転):ケーズデンキスタジアム水戸
- 2026年秋 (J1) - : 水戸信用金庫スタジアム(笠松運動公園陸上競技場)
新スタジアム構想
2019年、クラブが新規民設を唱えて市は改修を断念
水戸市のKsスタ改修の動きとは別に、クラブは2019年11月22日に記者会見を開き、クラブ自前のスタジアム及びアカデミー拠点を整備する方針を明らかにした[46][47]。共に水戸市内の鉄道駅或いはインターチェンジ近くに立地させることを念頭に複数の候補地を検討しているという。スタジアムは収容人員がJ1基準を満たす1万5千人から2万人規模の球技専用スタジアムを想定しており、総工費は100億円を見込んでいるとした。民設民営方式による整備を想定し、資金調達については既に「県外の複数企業から何十億、何百億という(単位の)話がきている」とし、設計施工、ファイナンスなど賛同してくれる企業が集まっていることも明かしており、クラブ創設30周年となる2024年完成を目指すと語った。一方でこのクラブの動きに対し、水戸市は今回のクラブのスタジアム新設構想の推移を見守るとして、KsスタのJ1基準化工事の設計・着工時期の見直しを示唆している[48]。
なお上述の通り、2020年7月に提出した2021年度ライセンスでは、上記新スタジアム建設計画を踏まえた特例適用を申請しており、2020年のJ2でJ1昇格案件を満たす順位をクリアし、かつJ1ライセンスを承認された場合でも継続してKsスタを使用できるようになる予定である。
民設計画の難航
その後、新スタジアムの竣工目標について水戸ホーリーホックは、当初より4年遅れとなる2028年の完成を目指すこと、また水戸市にこだわらず、Jリーグ登記の15自治体のホームタウンの中からスタジアムの建設場所の候補地を募り、その中から2023年中に最終的な建設予定地を決定すると発表した。これは新型コロナウイルス感染症の流行により、2020年からリーグ戦の中断や、リモートマッチ・入場者数制限などが敷かれ、経営の立て直しが必要とされたことから、新スタジアムの2024年の完成を断念し、4年程度遅らせることにしたとされる[49]。
2024年、クラブは民設を断念して公設を求めるも難航
2024年4月には、人件費や建設費の高騰などを理由に、民設民営ではなく公設(ホームタウンの市町村が建設)にする方針に変更することを水戸ホーリーホックが発表した。具体的な予定地は水戸市を第1候補として同市と検討しており、クラブ社長の小島耕は、「用地取得交渉や建設予定地の周辺道路を含めたインフラ整備は行政等の補助金など資金協力が必須である」と説明している[50]。
2025年1月、水戸ホーリーホックは建設予定地の選定が難航しているとした上で、完成時期を白紙とし、また既存施設の改修も検討に含めることを発表した[51]。
この発表を受け、既存のKsスタを所有する水戸市の高橋靖市長は、2025年2月25日の定例会見にて、2019年から本年に至るまでの水戸ホーリーホックによる一連の構想について、全ての構想が市に対しての一切の協議がない中で発表されたものであることを公表。2019年当時のKsスタ改修計画で予定していた改修費は2025年の段階では倍増し、また新設には200億円を要することから、既設改修・新設共に市民の理解は得られず、優先的に進めなければいけない事業がある中で新スタジアム等のハード事業を水戸市で行う考えはないと述べた[52]。また、2019年当時の市の改修計画がホーリーホックによる民設民営スタジアム構想の突然の発表により取り止めとなった点にも触れ、何の協議のないまま発表し取り止めとなった事業に対しもう1回改修と言われても虫のいい話であると苦言を呈した。水戸市はホーリーホックに対し、水戸市側が悪いというストーリーを作らないで欲しいと求めている[53]。
2025年9月25日、Jリーグは2026年のJリーグクラブライセンス判定を発表、水戸ホーリーホックに対しては、現在J1規格に未達となっているスタジアムの例外規定適用によるJ1ライセンスが交付されることとなった[54]。この例外規定により26年にJ1に昇格した場合、2028年11月末までに、場所・予算・整備内容を備えた具体的なスタジアム整備計画をJリーグに提出する必要がある為、スタジアム構想に期限が設定された形となる。
暫定的に水戸信用金庫スタジアムを使用
前述のとおり、2025年シーズンの結果クラブはJ1に昇格し、2026年秋から始まる新シーズンでは水戸市を出て、J1スタジアム基準のうち収容人数規定を充たす、那珂市にある水戸信用金庫スタジアムを本拠地とすることになった[45]。
スタジアムDJ
スタジアムDJは日立市のケーブルテレビ「JWAY」の寺田忍が担当している[55]。寺田はホームゲームの進行役はもちろんのこと、アウェイの試合にもサポーターの一員としてたびたび自主参加し、試合開始前にはアウェイ側サポーター席でトラメガ片手にホームゲーム同様の選手紹介を行なっている。またスタジアムの場内演出は茨城大学の学生によるボランティアで運営されており[55]、寺田のDJ活動も2003年の同大在学時からの無報酬ボランティアである[56]。
スタジアムグルメ
2009年に食中毒事件が起こり、一時は全ての飲食売店に営業停止命令が出されたが、原因となった食品が特定され、該当店舗の出店禁止処分とともに売店営業が再開された。現在のスタジアム飲食売店はメインゲートにあるグルメ広場のほかサブグラウンドにも出店され、たこ焼きやカレーライスなどの定番メニューから、美明豚を使用した「那珂湊焼きそば」や常陸牛を使用した「常陸牛サーロインステーキ丼」など地域色を生かしたメニューまで豊富にそろっている。
練習場
2018年以降、練習は城里町の複合施設「城里町七会町民センター」(通称「アツマーレ」)を使用している。2017年までは那珂川の河川敷に整備されたチーム専用グラウンドであるホーリーピッチ(水戸市水府町)の他、水戸市立サッカー・ラグビー場(ツインフィールド、水戸市河和田町)など水戸市近郊のグランドを利用していた。
JリーグではJ1ライセンスの発給条件の一つとして「クラブハウスに隣接したフルサイズの天然芝グラウンドが常時利用可能であること」を求めているが、ホーリーピッチ・ツインフィールドとも近接地にクラブハウスを設けるのが困難であった。この窮状を見た水戸市に隣接する城里町が、2015年3月に廃校となった旧城里町立七会中学校の校舎及びグラウンドを活用する案をクラブに打診。水戸市内からやや遠いという難点はあるものの、校舎が1997年建設と比較的新しいことや天然芝グラウンド2面を確保できる敷地の広さ、また町民の多くからも賛同を得られていることなどから、クラブも練習場の移転を前向きに検討し、2016年7月には、クラブ側が最低10年間施設をクラブハウス及び練習場として使用する旨の協定書を締結[57]。同年シーズンオフには旧七会中で感謝イベントを開催した[58]。
城里町ではこれを受け、2016年末から順次施設改修工事を開始。町役場支所・公民館の機能を併せ持った施設として整備を行った。工事完成間際には追加工事分を加えた変更契約議決が否決される[59] などの紆余曲折もあったが、最終的に変更契約議案も可決され、2018年1月に施設が完成した[60]。
近隣の公営住宅を活用し、水戸市内にある選手寮を練習場のそばに移転させる案も出ていたが[61]、その案はその後消滅し、2022年3月に水戸市内に新たな選手寮『若龍寮』を建設し供用を開始している[62]。
ホームタウン
水戸市との関係
前述のとおり、ホーリーホックはJFL参入時の水戸市との軋轢により地元自治体の支援を受けられず、また支持されてもいないという理由からスポンサーの獲得も難しく[31]、不安定な経営基盤まま出発を余儀なくされた。ホーリーホックが「地域密着」を謳うJリーグクラブとなっても引き続き市からの財政支援はなく、また水戸から遠く離れた場所で試合が行なわれていたことから地元水戸市民の関心・認知度は極度に低迷し、観客動員・チーム成績・クラブ予算のあらゆる面でJリーグ最低規模での運営が続いた。
しかし2003年4月に加藤浩一が新市長に就任したのを機に市の対応にも変化が生じる。ホーリーピッチの整備やKsスタの改修工事など市側がホーリーホックを念頭に置いた環境整備を行うようになり、2009年の本拠地移転後は観客動員も徐々に増加の兆しを見せていた。しかし、2010年はスポンサーの撤退などにより資金難となった。前述の確約により市の資金援助も得られず、2011年1月に公式試合安定開催基金から3000万円を借り入れる事態となった。追い打ちをかけるように同年3月に東日本大震災により被災。一気にクラブ存続の窮地に追い込まれる中、同年5月にクラブへの積極支援を表明していた高橋靖が新市長に就任。これにより双方の関係は劇的に改善し、水戸市は震災で市庁舎が全壊し仮設庁舎での業務を余儀なくされている中にあって、同年12月にクラブへの出資を可決。ここに至って15年にも及んだ水戸市との確執はついに解消され、覚書については両者同意の元無効化された[33]。
だが、2019年にはJ1基準を充たすためのKsスタ改修に動いていた市と民設新スタジアム構想に動いたクラブとの間で再び軋轢が生じる。その後、建設費高騰により民設も改修も困難になった中、2026年からはクラブがJ1に昇格し、再び水戸市から移転することになった。
ホームタウン推進協議会
ホームタウンは元々水戸市のみであったが、2002年に周辺のひたちなか市・那珂市・笠間市・小美玉市・茨城町・大洗町・城里町・東海村の8市町村を加えた「水戸ホーリーホック・ホームタウン推進協議会」が発足した。以後毎年ホームゲーム開催時に「市町村の日」を設け、住民の無料招待や地域の紹介展示、特産品の抽選配布など準ホームタウンとしての地域提携が行なわれている。また2012年に本協議会の5市町がクラブへの出資を表明していることが明らかになった[63]。
8市町村は、2017年11月21日に正式にホームタウンとして承認されている[6]。
ユニフォーム
チームカラー
ユニフォームスポンサー
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
| 胸 | ケーズホールディングス | K's ケーズデンキ | 2001年 - | 1999年 - 2000年は背中 |
|---|---|---|---|---|
| 鎖骨 | 日立建機 | LANDCROS | 2026/27年 - [64] | 右側に表記 |
| アダストリア | and ST | 2021年 - | 左側に提出 2021年 - 2025年は「ADASTRIA」表記 | |
| 裾 | HELTEC | HELTEC (1st・2nd / GK 1st) SENSING DIVISION (GK 2nd) | 2026/27年 - [65] | 右側に表記 |
| 背中上部 | JX金属 | JX JX金属 | 2023年 - | 2022年5月 - 同年10月は袖 |
| 背中下部 | (カッパーくん) | 2025年 - | ||
| 袖 | 太平電業 | 太平電業 | 2025年5月 - [66] | |
| パンツ前面 | サステナブルホールディングス | SUSTAINABLE HOLDINGS | 2026年特別 - | |
| パンツ背面 | 大和証券 | 大和証券 | 2023年 - |
ユニフォームサプライヤーの遍歴
歴代ユニフォーム
歴代ユニフォームスポンサー表記
| 年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||||||
| 胸 | 鎖骨左 | 鎖骨右 | 裾左 | 裾右 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ前面 | パンツ背面 | ||
| 1999 | Netz TOYOTA | 解禁前 | 解禁前 | K's ケーズデンキ | 解禁前 | 茨城銀行 | - | 解禁前 | PUMA | ||
| 2000 | トモエ乳業 | ||||||||||
| 2001 | K's ケーズデンキ | - | |||||||||
| 2002 | |||||||||||
| 2003 | |||||||||||
| 2004 | |||||||||||
| 2005 | - / imx | - / CMC | - / 思学舎モア | ||||||||
| 2006 | imx | CMC | 思学舎モア | mitre | |||||||
| 2007 | imx / - | - | - | ||||||||
| 2008 | 水戸証券 | 茨城空港 IBΛRΛKI ΛIRPORT | |||||||||
| 2009 | |||||||||||
| 2010 | - | - | |||||||||
| 2011 | - / One Heart Wedding | seekel | - / ARK CLUB GEIHINKAN | ||||||||
| 2012 | - / ARK CLUB GEIHINKAN | - / ARK CLUB GEIHINKAN | GAViC | ||||||||
| 2013 | - / ARK CLUB GEIHINKAN | - | - / ARK CLUB GEIHINKAN | ||||||||
| 2014 | - | - | |||||||||
| 2015 | ガールズ&パンツァー GIRLS und PANZER | ||||||||||
| 2016 | - / Vietnam Airlines | - | (あんこうマーク) | ||||||||
| 2017 | - | ||||||||||
| 2018 | - | ||||||||||
| 2019 | Z-SPORTS | Z-CRAFT | - / Atræ | Netz ネッツトヨタ茨城 | |||||||
| 2020 | - | :Atrae | - | - | |||||||
| 2021 | - / ADASTRIA | - / .st ドットエスティ | タカノフーズ | - | Soccer Junky | ||||||
| 2022 | ADASTRIA | - | - / JX JX金属 | ||||||||
| 2023 | - / TANiOBIS inspiring metal evolution | JX JX金属 | - | 大和証券 | |||||||
| 2024 | TANiOBIS inspiring metal evolution | ||||||||||
| 2025 | - / 茨城日産 | (カッパーくん) | - / 太平電業 | ||||||||
| 2026特別 | and ST | 茨城日産 | 太平電業 | SUSTAINABLE HOLDINGS | |||||||
| 2026/27 | LANDCROS | HELTEC (1st・2nd / GK 1st) SENSING DIVISION (GK 2nd) | - | ||||||||
- 2014年(創設20周年)、2019年(同25周年)の袖および2024年(同30周年)の胸には、それぞれ記念ロゴマークがついた。
アカデミー
- 水戸ホーリーホックユース
- 水戸ホーリーホックジュニアユース
- 水戸ホーリーホックジュニア
海外クラブとの提携
公式ソング
- 走れ☆ホーリーホック!(作詞・作曲・編曲・歌:eco)
- 2005年に発表された初の公式応援ソング。チアリーディング用の振り付けも考案された。試合会場のBGMとして多用されたため観戦に訪れた多くのアウェイサポーターにもメロディが刷り込まれてしまったことから「水戸の洗脳ソング」との異名をとった[72]。
- 蒼く染まれ(作詞・歌:shotaro 作・編曲:和田春)
- 2011年発表。試合会場では主に試合のダイジェスト映像やボールパーソン入場時のBGMなどに用いられた。
- Ole ホーリーホック ~葵の魂を見せてやれ~(作詞・作曲・編曲・歌:磯山純)
- 2014年11月1日のホーム横浜FC戦にて本人のミニライブとともに発表された。2014年時点においてCD販売等はされていない[73]。
- 無限の力(作詞・作曲・編曲・歌:宇宙まお)
- 2014年11月15日のホーム栃木SC戦にて本人のミニライブとともに発表された。CDには表題曲のほか「あの子がすき」も収録されている。
- スーパースター(作詞:NAOI HIRO 作曲:NAOI 編曲:Ryo Miyata Kazuki 歌:BxAxG)
eスポーツ
エピソード
J2参加
J2参入初年の2000年は笠松運動公園陸上競技場が改修工事中であったため、ひたちなか市総合運動公園陸上競技場と日立市民運動公園陸上競技場の2会場を中心に主催試合を行った。そのうち、より規模の小さい日立では9試合が行われたが、その中に浦和戦のホームゲーム2試合が含まれ、公称収容人数8,464人のスタンドは浦和サポーターを中心に超満員(観衆約6,000人)となったが、ピッチ状態の悪さなどに批判が集まった。その後、日立での試合開催は2007年の1試合(仙台戦)まで行われなかった。また、警備費用の負担という名目で水戸は浦和戦のみ各席種のチケット販売価格に通常から200円上乗せしたが、対戦相手によってチケット価格を変えるのは当時のJリーグでは珍しかった[注 9]。
J2の主
水戸ホーリーホックは2000年にJ2へ加入して以来、1度も昇降格を経験していない唯一のクラブであり、その在籍期間は全Jクラブ中最長である。何度か降格の危機を迎えるも、その度に残留しJ2に留まり続ける姿からファンたちに「J2の主」の愛称で親しまれている。また、総試合数、総失点数、敗戦数、引き分け数のJ2記録も保持しており、これらの記録は在籍期間の記録と合わせて現在も更新中である[要出典]。前述通り、2025年のJ2リーグで優勝し、2026年からは、J1リーグ昇格が決まった。
水戸ナチオ
2003年に監督に就任した前田秀樹は、資金面、戦力面で他クラブに劣る水戸で対等な勝負をするために、徹底した専守防衛によるリアクションサッカーを導入した。DFやサイドどころか中盤、前線に至るまでほぼ全員が自陣深くに引き、攻撃はカウンター一筋で決して自分たちからは攻めあがらず、何点のビハインドを背負おうと決して前の人数を増やさずに守り続けるという、極端なまでの守備戦術である。
この戦術は、ポゼッション(ボール保持)を半ば放棄しているため、相手の波状攻撃に耐え切れずに大量失点を喫することもあったが、その分カウンターがうまくはまった時は快勝することも多く、特に攻撃的な戦術を組む上位クラブに対しては「守り切られてカウンターだけで負けかねない、侮れないチーム」という意識を植え付けることになった。また、上位だけでなく水戸以降にJリーグに加入した下位クラブにも徹底して引いたため、「横浜FC相手にリトリートするチームがあるとは思わなかった」(足達勇輔横浜FC監督)、「先制して、水戸が前に出てきたら仕掛けようと思ったら、出てこなかった[78]」(望月一仁愛媛監督)など、しばしば相手の選手や監督を驚かせた。
こうした水戸の「超守備戦術」は、いつしかイタリアの「カテナチオ」になぞらえ、一部サポーターから「水戸ナチオ」と呼ばれるようになった。元はインターネットのサッカーコミュニティから生まれたスラングであったが、徐々にサッカーファンの間で浸透し、やがてマスコミでも水戸を説明する言葉としてしばしば用いられるようになった。前田監督の最終年である2007年以降、水戸はポゼッションを高める攻撃的サッカーに方針を転換したが、今なお「水戸ナチオ」は水戸を象徴する代名詞となっている。
サポーター主導のイベント

水戸サポーターはホームゲームの勝利後に全員でラインダンスをするほか、一部選手・クラブ社長・ホーリーくんを交えての万歳三唱、アウェーゲームのゴール裏で屋台やゲームなどの夏祭りを開催する「納涼漢祭り」、前田秀樹監督を盛大に称える「前田祭り」、山形とのゲームで必ず行われる「コール合戦」など、独特のイベントを多数開催している。
これらは基本的にクラブはノータッチ、完全にサポーター主導で行われており、特に漢祭りは「Jリーグの奇祭」として他クラブサポーターも多数参加する。詳細は「納涼漢祭り」を参照。
新日本プロレスとのコラボレーション
2008年から新日本プロレスとのコラボ企画を行なっている。2月14日にひたちなか市松戸体育館で行われた新日本プロレスひたちなか大会において、ホーリーくんやチアリーダーが登場するなどして盛り上げた。6月13日の鳥栖戦には、6月15日の水戸市民体育館で行われる新日本プロレス水戸大会の宣伝も兼ねて、サッカー経験者である蝶野正洋の始球式参加や「I am Chono!!」シートを限定販売を行った。
ガールズ&パンツァーとのコラボレーション
ホームタウン推進協議会に属する大洗町が舞台のテレビアニメ『ガールズ&パンツァー』が2012年に放映されて人気を博したが、視聴したクラブ社長が主人公が所属する学校の立場に共感[79]。製作会社であるバンダイビジュアルとの交渉で2013年11月10日第40節東京V戦でコラボ企画を実施[80]。2014年には同社とスポンサー契約を締結、開幕前には合同記者会見が開かれ[81]、以降関連グッズの販売やコラボイベントなどが活発に行なわれている[82][83][84][85]。
観客動員
Jリーグ加盟初年から長らく集客で苦戦が続き、特に2005年から2009年まで5年連続で動員数リーグ最下位を記録するなど、2010年までの年間観客動員数はリーグ下位2位以内が定位置であった。なお2000年、2004年の動員最下位はそれぞれ甲府、鳥栖であったが、双方とも当時クラブの存続危機に立たされていた。2010年に最下位だった岐阜はホームスタジアム・長良川競技場が改修工事のためわずか3試合しか使用できず、その他のホームゲームを収容人数3,000人台の長良川球技メドウで行なったためである。
2010年には、10月31日の柏戦で「ワースト脱出!!1万人チャレンジDAY」と銘打ったキャンペーンを実施、チケット価格を値下げするなどして初めて観客1万人を達成した[86]。この模様はNHKのバラエティ番組「欽ちゃんのワースト脱出大作戦」でも取り上げられた[87]。
2011年は東日本大震災で被災し、Ksスタの修理のため19試合のホームゲームのうち実に12試合もの間7,000席分のメインスタンドを使用できなかったにもかかわらず、年間動員数は20クラブ中18位となり初めてワースト2位の壁を越えた。
翌2012年以降から年々動員数を伸ばし続けており、近年は改善傾向が見られる。
観客数の多かったホームゲーム
| 順位 | 日付 | 所属 | 対戦相手 | 観客数 | 試合会場 | 出典 |
| 1 | 2025年11月29日 | J2 | 大分トリニータ | 10,743 | ケーズデンキスタジアム水戸 | [88] |
| 2 | 2024年11月3日 | モンテディオ山形 | 10,488 | |||
| 3 | 2016年3月6日 | セレッソ大阪 | 10,420 | |||
| 4 | 2010年10月31日 | 柏レイソル | 10,181 | [89] | ||
| 5 | 2013年6月15日 | ガンバ大阪 | 10,025 | [90] |
決算
水戸ホーリーホックの決算は、つぎのとおり。
損益
| 年度 | リーグ | 収入 | 広告料 | 入場料 | 配分 | その他 | 費用 | 事業費 | 人件費 | 管理費 | 利益 | 純利益 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | J2 | 310 | 81 | 50 | 103 | 75 | 301 | 210 | 133 | 91 | 8 | 18 |
| 2006 | J2 | 341 | 83 | 52 | 111 | 95 | 338 | 239 | 141 | 99 | 3 | -2 |
| 2007 | J2 | 301 | 62 | 43 | 130 | 66 | 337 | 240 | 140 | 97 | -36 | -40 |
| 2008 | J2 | 349 | 102 | 44 | 112 | 91 | 361 | 256 | 159 | 105 | -12 | -9 |
| 2009 | J2 | 413 | 108 | 71 | 102 | 132 | 399 | 293 | 163 | 106 | 14 | 6 |
| 2010 | J2 | 366 | 91 | 62 | 117 | 96 | 380 | 269 | 152 | 111 | -14 | -16 |
| 年度 | リーグ | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 販売 | 利益 | 純利益 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2011 | J2 | 436 | 135 | 60 | 105 | 37 | 99 | 387 | 152 | 34 | 54 | 8 | 0 | 139 | 49 | 6 |
| 2012 | J2 | 483 | 169 | 82 | 90 | 35 | 107 | 479 | 205 | 30 | 68 | 11 | 0 | 165 | 4 | 28 |
| 2013 | J2 | 508 | 189 | 90 | 90 | 38 | 101 | 507 | 230 | 35 | 65 | 10 | 0 | 167 | 1 | 4 |
| 2014 | J2 | 518 | 167 | 88 | 92 | 45 | 126 | 548 | 235 | 46 | 69 | 14 | 0 | 184 | -30 | -29 |
| 2015 | J2 | 561 | 190 | 81 | 82 | 49 | 159 | 561 | 249 | 44 | 71 | 21 | 0 | 176 | 0 | 2 |
| 年度 | リーグ | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2016 | J2 | 589 | 199 | 86 | 82 | 49 | 56 | 117 | 586 | 262 | 47 | 71 | 21 | 0 | 42 | 143 | 3 | 4 |
| 2017 | J2 | 578 | 195 | 83 | 144 | 49 | 50 | 57 | 588 | 261 | 48 | 76 | 24 | 0 | 34 | 145 | -10 | -9 |
| 2018 | J2 | 621 | 205 | 84 | 145 | 50 | 52 | 85 | 623 | 275 | 54 | 79 | 28 | 0 | 33 | 154 | -2 | 0 |
| 2019 | J2 | 752 | 259 | 114 | 144 | 59 | 70 | 106 | 744 | 321 | 63 | 94 | 29 | 0 | 52 | 185 | 8 | -21 |
| 2020 | J2 | 762 | 291 | 69 | 149 | 46 | 79 | 128 | 791 | 335 | 67 | 73 | 16 | 0 | 68 | 232 | -29 | -27 |
資産
| 年度 | 総資産 | 総負債 | 純資産 | 資本金 |
|---|---|---|---|---|
| 2005 | 72 | 99 | -26 | 74 |
| 2006 | 124 | 144 | -20 | 82 |
| 2007 | 112 | 128 | -15 | 104 |
| 2008 | 116 | 142 | -25 | 52 |
| 2009 | 89 | 107 | -18 | 52 |
| 2010 | 82 | 117 | -35 | 52 |
| 2011 | 153 | 133 | 20 | 77 |
| 2012 | 168 | 112 | 56 | 80 |
| 2013 | 161 | 101 | 60 | 80 |
| 2014 | 182 | 144 | 38 | 84 |
| 2015 | 160 | 119 | 41 | 84 |
| 2016 | 160 | 115 | 45 | 84 |
| 2017 | 188 | 153 | 35 | 84 |
| 2018 | 138 | 102 | 36 | 84 |
| 2019 | 235 | 194 | 41 | 98 |
| 2020 | 487 | 278 | 28 | 127 |