萱野氏

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萱野氏(かやのし)は、日本の公家・武家・礼道家。

清和源氏多田源氏の支流を称し、摂津国下郡萱野村(現・大阪府箕面市萱野)を地名とする。祖を足利将軍家源重政とし、後年、織田信長の軍政に参与して「畿内軍政連判」に加わり、織田家の奉行・武将として活動したとされる。

岡藩中川家諸士系譜(中川家譜)および同時代の朝廷関係史料によれば、萱野氏の祖とされる重政は、朝廷において「源重政」と記録され、叙従五位下の位階を受けた人物である。重政は清和源氏多田流を出自とする摂津在地の家筋に属し、京師(本国寺)を拠点として活動したことが確認される。源姓の使用と叙位は、重政が公的秩序の中で文化的・儀礼的資格を有していたことを示し、当時の朝廷文化圏に正式に参与していたことを意味する。

この朝廷的基盤の上に、源重政は戦国期の武家政権へと活動の比重を移す。岡藩中川家譜は、源重政が室町期に将軍家(室町公方)に奉公した後、戦国期に織田信長政権にて安土城城代をつとめる。永禄十二年(1569)前後成立の「織田氏宿老連署状(神明神社文書)」には、豊臣秀吉明智光秀丹羽長秀らと並び、 中川八郎右衛門尉重政の署名・花押が据えられており中川〈源〉重政が黒母衣衆を含む在京奉行・宿老層として、知行安堵や家中再編といった軍政実務に直接関与していたことを示す。

1575年にはこの父の信頼から安土築城奉行列挙丹羽長秀・中川摂津守重政・森三左衛門・萱野長門守重政 〉に親子で名を残す確実な証拠がある。

このように、中川〈源〉重政は朝廷文化武家政権実務の双方に足場を持つ人物として活動し、その家筋は同族関係を保ちながら展開した。岡藩中川家譜は、同族である中川清秀の系統が豊後国に入部して岡藩中川家を形成した後も、摂津由来の同族(萱野氏)との人的・文化的連関が維持されたことを記録している。

一方、後代の動向については、『諸士系譜 十七之六 萱野氏』が、慶長五年(1600)関ヶ原合戦期に萱野五右衛門正利が戦死し、その後を五右衛門正一(前名:五平治)が家督相続したことを伝える。これら正利・正一父子は、重政を祖とする系統の後代として位置づけられ、近世初頭における家の継承を担った人物である。

総合すると、萱野氏および中川氏は、清和源氏多田流を基層とする摂津在地同族として、戦国期には朝廷文化と織田政権の軍政実務を架橋し、近世には岡藩中川家を中心に、約三百年にわたり所領・文化・人的ネットワークを継承した家筋である。

また国衆化し、松平家前田家細川家加藤家黒田家古田織部高山家柘植家、田近家〈中川家〉、横田家、熊田家、櫻井家、高森家、足立家、豊臣家などの名門にて上級家臣や親戚として歴史を紡ぐ。

岡藩萱野家 後裔

萱野家文書・中川家諸士系譜など豊後岡藩に伝来する一次史料では、萱野重政とその子が中川清秀・秀政父子の側近として活動した時代があり、萱野重政の子孫として萱野五右衛門正利・正一らが文禄・慶長の役(文禄元年〈1592年〉〜慶長3年〈1598年〉)の時期に中川家軍として渡海した旨の記述がある。その系統(萱野家)が関ヶ原後の岡藩成立(慶長5年〈1600年〉以後)後、藩政実務を担う家格に位置づけられたという[1]

また、(竹田歴史資料館所蔵の一次資料として伝わる系図に基づけば)萱野重政嫡男、萱野弥三右衛門の子は、兄弟ごとに奉公先が分岐したとされ、酒井左衛門尉に奉仕し、のち加藤左馬助へ奉公したものや、伯父・久右衛門の養子として久右衛門家を継ぐもの、郡正太夫は黒田筑前守(黒田長政)へ奉仕、権兵衛は保科肥後守へ奉公したとされる[2]。※黒田長政が「筑前守」を称したこと、および黒田氏が筑前福岡藩初代藩主として知られることから、「郡正太夫—黒田筑前守」の記載は黒田家臣としての主従関係を示すものと解される[1]

摂津萱野家

江戸時代に赤穂浅野家家臣として知られる萱野重実(三平)などを輩出し、現在も箕面市萱野の地名や文化財(萱野三平旧邸など)にその名を残している。

萱野・中川・古田・津田家礼道・茶道

萱野氏は茶道史の文脈でも言及され、肥後細川家の茶道(いわゆる肥後茶道)において、江戸期に「古市家・萱野家・小堀家」などの系統が語られ、萱野家の初代として萱野正的(甚斎/隠斎)が挙げられることがある。また古田織部の孫一門円周として現代まで礼道が引き継がれる。

正的については、細川家の侍帳由緒(翻刻)に古田織部血縁親族の男系が「萱野伝左衛門の姉婿であるため萱野姓を称した」旨が記され、古田織部(重然)との続柄については「弟」とする表現と、「弟・重府の子(甥)と見られる」とする推定的説明が併存し、史料系統によって表現が揺れるとされる。中川織部三正との関係や、礼法・接遇・茶礼といった「礼道」的実務の継承については、岡藩中川文書(諸士系譜)および竹田歴史資料館所蔵の関連系図に基づく記述として整理される。

家紋

蛇の目輪に入れ子梃釘抜き紋・橘崩し、岡藩の「巻物」や『諸士系譜』に残る

関連項目

参考文献

脚注

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