落合兼行
From Wikipedia, the free encyclopedia
出自
『平家物語』には落合五郎兼行とあり、樋口兼光や今井兼平、八島行忠、楯親忠らと行動を共にしている記述が多く、出身が木曽中原氏説の他に根井氏説もあり、館も美濃の落合の他、信濃国佐久郡の落合という説もある。
一説には、義仲が駒王丸と称していた幼少時の養父中原兼遠の子が兼行で、義仲が側近の家来として落合に居住させ、その地一帯の地盤を固めたと伝えられている。
『源平盛衰記』には、「信濃国には根井小弥太、其子楯親忠、八島行忠、落合五郎兼行・・・木曽党には中三権頭兼遠が子息、樋口次郎兼光、今井四郎兼平・・・」とあり、根井行親の子であって、さらに木曽の住人ではないとされている。
大正時代の『西筑摩郡誌』によると、兼遠は「其子樋口兼光、今井兼平、姪(=甥)落合兼行等に義仲に臣事せしめ」たとあり、佐久郡の記録によると母は中原玄興寺氏となっており、母が中原氏、父が根井氏という。
史跡
- 木曽谷の西の入り口である美濃国恵那郡落合村に、西からの備えのため館を構えていたと言われている。現在、岐阜県中津川市落合には、落合五郎兼行之城跡の碑があり、地元では「おがらん様」の名で親しまれている。
- 寛文3年(1663年)4月 紀伊国より落合十郎右衛門が尋ねて来て、先祖のために石灯籠を一基を献納したことが恵那神社誌に記されている。
- 中津川市落合には、おがらん四社(落合五郎兼行神社、愛宕神社、山神神社、天神社)があり、境内には元禄10年(1697年)の地蔵、文化10年(1813年)・慶応3年(1867年)の常夜灯、大正6年(1917年)建立の「落合五郎兼行の城跡」の石碑、寛延年間に建立された石灯籠と兼行顕彰碑がある。
- 江戸時代の『木曽名所図会』には、落合五郎霊社という記述があり、『新撰美濃誌』には「落合氏宗氏跡は駅の西の路傍にあり、老杉三、四株生え茂りうらに愛宕神社あり」とある。
- 中津川市落合の八幡神社は、落合兼行が祀った八幡神であると伝えれれている。