葉黄記 From Wikipedia, the free encyclopedia 『葉黄記』(ようこうき)は、鎌倉時代の公卿・葉室定嗣が記した日記。定嗣は、鎌倉中期の後嵯峨院政の執権として、後嵯峨上皇に近侍した人物として知られている。書名の由来については、家号葉室の一字と、中納言の唐名黄門の一字とを合わせたものであると考えられている。『定嗣卿記』『葉禅記』などの別名もある。 定嗣が39歳、参議兼大蔵卿であった寛元4年(1246年)から宝治2年(1248年)までの3年分が現存し、ほかに寛喜2年(1230年)・暦仁元年(1238年)・仁治3年(1242年)・建長元年(1249年)などの別記類がある[1]。 定嗣は寛元4年に後嵯峨上皇の院司別当、宝治2年に権中納言になっているため、現存する日記は後嵯峨上皇に院臣として近侍していた時期にあたり、上皇の院政に関する情報が多く記されている[1]。武家側の史料である『吾妻鏡』とは異なる記述も見られ、公家の立場から書かれた史料として、検証に重用されている。 現在、定嗣の自筆本は失われているが、宮内庁書陵部に伏見宮旧蔵の南北朝時代の書写にかかる古写本15巻が所蔵されており、これらとその他の写本の翻刻が『史料纂集』に所収されている[2]。 参考文献 綾村宏「葉黄記」『国史大辞典』吉川弘文館。 菊地康明、田沼陸 編「解説」『葉黄記』 2巻、続群書類従完成会〈史料纂集 古記録編〉、2004年。 日本史大事典(平凡社) この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJライトノベル)。項目が小説家・作家の場合には {{Writer-stub}} を、文学作品以外の本・雑誌の場合には {{Book-stub}} を貼り付けてください。表示編集 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 1 2 国史大辞典. ↑ 葉黄記, p. 259. Related Articles