蓋派駅逓所
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概要
1903年(明治36年)4月23日、前年の5月に取扱の始まった蓋派渡船所に続いて蓋派駅逓所が蓋派村8線に設置される[4][5]。取扱人は高島農場の事務員であった斉藤徳次郎が務めた[5]。駅逓所は交通不便な箇所の人馬継立を担う役割で設置されていた[6]ため、1910年(明治43年)9月22日に網走本線の高島駅が開業した[7]ことで役目を終え、1911年(明治44年)5月13日に廃止された[4]。なお、廃止時には蓋派村は合併し、凋寒村となっている[4]。
駅逓所の廃止後も建屋は長らく保存されており池田町はそのまま文化財とする予定であったが、町と所有者間の話の食い違いから[1]、1980年(昭和55年)に解体されて現存しない[5]。
隣の駅逓所
利別太駅逓所 - 蓋派駅逓所 - 本別駅逓所
利別太駅逓所までは3里11町(約12km)、本別駅逓所までは7里31町(約28km)であった[8]。