蓮聖 From Wikipedia, the free encyclopedia 法名 蓮聖宗旨 法相宗寺院 興福寺蓮聖 天暦6年 - 不明(宣明暦)(952年 - 不明〈ユリウス暦〉)[1]法名 蓮聖宗旨 法相宗寺院 興福寺テンプレートを表示 蓮聖(れんしょう)は、平安時代中期の僧侶。 康保元年(964年)頃に得度、興福寺に属する。正暦2年(991年)維摩会の研学竪義を務める[1]。寛弘元年(1004年)法華寺別当に就任[2]。寛弘2年(1005年)維摩会講師に進む[3]。 寛弘3年(1006年)6月、大和国の住人で大和守源頼親の郎党・当麻為頼と興福寺の所領論争が激化し、為頼による興福寺荘官殺害事件が発生。蓮聖は報復として僧3,000名を率いて為頼の邸宅を攻撃し、屋敷と田畑200余町を焼き払った。国司の頼親はこれを不法行為として報告したため、朝廷は蓮聖の公請を停止する処分を下した[4]。翌月、興福寺は別当定澄を筆頭に僧2,000を率いて入京して強訴に及び、検非違使に退けられると続いて蓮聖の赦免と頼親・為頼の停任を要求した。後者は左大臣・藤原道長によって退けられたが、蓮聖の宥免については再度申し立てを命じられている[5]。 参考文献 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第二編』 1巻、東京大学出版会、1968年。ISBN 978-4-13-090051-5。 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第二編』 5巻、東京大学出版会、1969年。ISBN 978-4-13-090055-3。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 『大日本史料』2-1, p. 828. ↑ 『大日本史料』2-5, p. 40. ↑ 『大日本史料』2-5, p. 501. ↑ 『大日本史料』2-5, pp. 657–658. ↑ 『大日本史料』2-5, pp. 668–670. この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。表示編集 Related Articles