薩摩浄雲
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京都(一説に和泉の堺、紀伊)の生まれ。若くして沢住検校の門人となり、古浄瑠璃を学んだ。1624年(寛永元年)に江戸に移り、薩摩座を興した。後に堺町で、当時大坂で活躍していた井上播磨掾や伊藤出羽掾等のからくり人形を取り入れた上方浄瑠璃を江戸の庶民らに上演し、人気を博した。
その後薩摩藩邸で浄瑠璃を演じ、当時藩主であった島津家久や島津光久の恩恵を受けて「薩摩太夫」という名をもらう。後に勇敢で硬派な語り口を取り入れた曲風の作品を多く上演した。この曲風は後に「薩摩節」と呼ばれ、一躍有名となった。また、同時期に同じく江戸で活躍していた杉山丹後掾と共に江戸の浄瑠璃開祖の双璧を成し遂げた。晩年には剃髪し、浄雲と号して後継者と共に演じる等、死去するまで一座は廃れる事はなかった。なお、彼は初代浄雲とされ、2代目浄雲も存在したとされているが、不明である。没後、東京都文京区向丘にある栄松院に葬られた。