藤井克彦

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生年月日 (1934-12-20) 1934年12月20日
没年月日 (2023-10-28) 2023年10月28日(88歳没)
職業 映画監督
ふじい かつひこ
藤井克彦
生年月日 (1934-12-20) 1934年12月20日
没年月日 (2023-10-28) 2023年10月28日(88歳没)
出生地 広島県広島市
職業 映画監督
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藤井 克彦(ふじい かつひこ、1934年12月20日 - 2023年10月28日[1])は、日本映画監督広島県広島市平野町(現・中区)出身[2][3][4]

1945年8月6日広島の原爆投下時は、広島市郊外の国民学校にいて被爆は免れたが、幼い目で"ピカドン"を目撃し、大きなショックを受ける[4]。作品にはうかがえないが、原爆の切実な体験は創造行為のテーマとして結実できないか、という自問自答を持ち続けた[4]終戦後東京自由が丘本籍地へ移る[4]目黒区立緑ヶ丘小学校卒業後、新制中学校の第一期生として、目黒区立第十一中学校に入学。実家の近くにあった映画館「南風座」などで活劇ほかに親しむ[4]東京都立小山台高校1958年慶應義塾大学文学部卒。同年日活本社に入社[4]。8月に撮影所の助監督試験を受け、日活撮影所助監督部に入社、第5期の助監督になる[4]。同期は、長谷部安春蔵原惟二斎藤光正ら7人[4]蔵原惟繕監督の『われらの時代』、森永健次郎監督の『潮騒』、マキノ雅弘監督の『日本侠客伝』などにつく[2]1971年8月、日活の製作一時中止、11月からのロマンポルノ路線、監督若返りで監督に昇進[4]。当時転職も考えていて、多少の躊躇はあったが、監督デビューする。監督処女作『OL日記・牝猫の匂い』は、「ある種の青春映画」のつもりで作ったが[4]、いきなり、山口清一郎監督の『恋の狩人・ラブハンター』、近藤幸彦監督『愛のぬくもり』、梅沢薫監督『女高生芸者』と共に警視庁保安一課に刑法175条わいせつ物陳列罪)で摘発され、翌年日活ロマンポルノ裁判に発展、猥褻裁判の被告となった[2][4]。猥褻裁判は1980年高裁で無罪が確定した。日活ロマンポルノの主力監督の一人として活躍し1980年フリー。1983年からテレビ映画も手掛ける。他に日活児童映画も手掛け1976年に撮った『四年三組のはた』や1985年の『まってました転校生!』は、いずれも海外の児童映画賞を受けた[2]

監督作品

外部リンク

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