藤井真透
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宮崎県都城市生まれ[2]。1914年(大正3年)、東京帝国大学工科大学土木工学科卒業[2]。同年、兵庫県技師となった[2]。1917年(大正6年)、明治神宮造営局技師に転任した[2]。折下吉延とともに、明治神宮外苑の銀杏並木道路を手がける。1922年(大正11年)、東京帝国大学講師となり道路工学や都市計画施工法を担当した[2]。1924年(大正13年)には内務省土木試験所の内務技師も兼任するようになる[2]。1931年(昭和6年)に日本大学工学部講師となった[2]。1932年(昭和7年)に工学博士を取得した[2]。1936年(昭和11年)、土木試験所長となった[2]。1942年(昭和17年)、海軍技師となった[2]。1945年(昭和20年)12月1日から1946年(昭和21年)2月19日まで都城市長を務めた[2]。公職追放の対象となった[3]。
市長退任後は、日大工学部教授や会社社長を務めた[2]。