若い頃に秘曲の「啄木」に執心した逸話がある。藤原師長が孝道と同門の藤原定輔に「啄木」を伝授する約束をしたところ、孝道は食事を受け付けないほど病み衰え、見舞いに来た師長が孝道の意を体して「定輔には孝道の西流ではなく、源経信の桂流「啄木」を伝授する」と慰めると、孝道は見違えるように元気を取り戻したという(『古今著聞集』)。
後妻(仁和寺女房)所生の孝経を偏愛した。秘曲を孝時に伝授する琵琶灌頂を孝時が29歳になるまで渋り、晩年には孝時を勘当して嘗て譲った笛を奪還した上、相伝の秘譜・楽器・文書類をすべて後妻所生の孝経と播磨局に譲ったという[3]。