藤原孝重

From Wikipedia, the free encyclopedia

藤原 孝重(ふじわら の たかしげ、生年不詳 - 康永2年/興国4年2月14日1343年3月10日))は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての廷臣・雅楽師藤原北家高藤流権中納言藤原為輔の11代孫で、刑部権大輔・藤原孝秀の子。官位従三位修理権大夫

兵衛尉を経て、花園朝(第二次伏見院政期)初頭の延慶2年(1309年従五位下右馬権助に叙任される。

のち、木工権頭を務めるが、この間の延慶3年(1310年玄象修理の功労により従五位上に、正和3年(1314年西園寺公顕から後伏見院琵琶の師匠としての功労の叙位を譲られて従四位下に叙せられるなど、雅楽に関連して叙位を受けた。また、正和5年(1316年)に盗難にあって行方不明となっていた琵琶の名器「玄象」について、元応元年(1319年)に発見されると孝重はこの修理を担当。その功労により正四位下に叙せられている。

元亨2年(1322年西園寺実兼が秘曲「啄木」を後伏見院に伝授する予定であったが、実兼が所労危急の状態であったため、代わりに孝重が伝授を行った[1]。のち、元徳2年(1330年)から建武元年(1334年)にかけて修理権大夫を務めている。

光明朝康永2年/興国4年(1343年)2月14日に従三位に叙せられ、当日薨去

人物

著書として『撃皷抄』があり、自筆本が伝わっている[2]

官歴

公卿補任』による。

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原孝秀
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原孝守
    • 男子:藤原孝清
    • 女子:

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI